「てるてるソング」酒場のギター弾き 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットはなぜ死んだか」(中野不二男


カウラの突撃ラッパ―零戦パイロットはなぜ死んだか (文春文庫)


いあ〜この本はスゴいなあ…。10日前に読んだ、この本、


「レーザー・メス神の指先」(中野不二男
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20170909


Facebookに紹介したら、ぜひこの本も!と紹介されて読みました。勉強不足なので、「カウラ事件」のことは全く知りませんでした。

「オーストラリア・カウラの連合軍捕虜収容所で起きた第二次大戦史上最大の日本人暴動。先頭に立って突撃ラッパを吹き鳴らしたのは何者か?偽名で死んだ若き零戦パイロットの謎を追ううちに、取材の足は豪州から東京、さらに四国へ。そして明らかになった40年目の真実とは……。日本ノンフィクション賞受賞作」そのエッセンスを紹介しよう。


カウラ事件とは、第二次大戦中オーストラリアのカウラにあった連合軍捕虜収容所で、日本兵捕虜たちが引き起こした大戦史上最大の集団暴動事件である。その捕虜集団の中心人物として、自決を前提とした暴動の最先端に立ち、突撃ラッパを吹き鳴らして死んだのは、若い海軍パイロット南忠男だといわれていた。かつて日本軍人は捕虜を恥辱とし、虜囚の身となるより自決を選んだ、という話には聞いている。しかし、死にたくなかったのではないだろうか。かれらの中には、“生への執着”はまったくなかったのだろうか。


・ある者は銃弾にたおれ、ある者は自らの生命を絶ち、合計234名の死亡者と、108名の負傷者を出した。南兵曹は、銃弾に胸を貫通され即死した。彼がどこで捕虜になったか、本当の階級は何であるか、何県人であるか、私には全然語ろうとしもしない、彼の過去を知っている人々には出会わなかった。キャンプ内で人望を集め、英会話も堪能であったが、どこで英会話を習得したかを知らない。南忠男とはいったい誰だったのか。何一つ過去を語らなかったという。私は「南忠男」になる前の南忠男についてもっと知るため、歴史のフィルムを逆転させる作業にとりかかった。


・「そのとおりですよ。暴動の計画なんて、そんなもの全然ありませんでしたよ。収容所に入れられたばかりの頃は、たしかにそんな話もなかったわけじゃないが、捕虜生活2年ともなるともう帝国軍人がどうのこうのいったって……。収容所の対偶は悪くはなかったし、楽な生活でしたからねえ。まあ安穏とした毎日だったんですね。


収容所に入ってきたばかりの、名前は知りませんが翌日食堂で首を吊って死んだ男(下村)が立ち上がって『貴様らそれでも軍人か!こんなことをしておってもどうにもならん。帝国軍人たる者、敵に攻撃を加え、一人でも多くの敵を殺し、自決すべきではないか!』と言い出して、星野さんがそれの相槌を打ち支持したんです。それで事態は完全に代わってしまったんです。


・暴動前夜、班長会議が長時間にわたって続けられたが、この際に暴動を起こして死ぬべきだという意見は、たった二人によって打ち上げられただけで、ほとんど意見も出なかった。それが、トイレットペーパーを使った無記名投票を持ち寄った結果、意外にも暴動賛成が80パーセントに達したのである。さらにおどろくべきことには、これを「決定」として、参加できない病人たちが、参加者を前にして首を吊って死んでゆくのである。




・南は、合図のラッパはおれが吹く、と会議をしめくくった。この時、南の胸中で、捕虜としての898日間の生が、一転して切り替えられたといわなければならない。「当時の軍国日本の青年にはそれができたというのか。いや、私には信じられない。絶対に信じられない」この思いが私をいっそう探索に駆り立てる。


日本人のメンタリティって変わらないんだねえ…。改めて平和のありがたさを感じざるをえないねえ。超オススメです。



カウラの突撃ラッパ―零戦パイロットはなぜ死んだか (文春文庫)