「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「僕はなぜ小屋で暮らすようになったか 生と死と哲学を巡って」

   


僕はなぜ小屋で暮らすようになったか 生と死と哲学を巡って (DOBOOKS)


この本はスゴイ……なぜか憧れてしまう……こんな生き方があったのか……。ホームレスとも浮浪者とも違う。雑木林に小屋を建て、河川敷にテントを張って暮らす著者・高村友也氏が、「現在の生活に辿り着くまで」を語る。


通底するテーマは「哲学」や「死生観」。幼い頃に「自分の死」のイメージに思い至ってより、「生きていること」の不思議さや儚さに思い巡らせてきた著者が、思考の世界と現実的な生活との折り合いをつけてゆく試行錯誤の記録。大正解か、それとも大間違いか、二つに一つの異色のライフスタイル」そのエッセンスを紹介しよう。


・およそ6年前、山梨の静かな雑木林の中に二束三文で土地を買って、自分の手で小さな小屋を建てた。本当にでたらめな工作だったが、今のところなんとか生活できている。小屋には電気・ガス・水道は引いていないが、薪ストーブで暖をとれて、炊飯もできる。水は近くの沢で汲むことができる。ソーラー発電もあるし、暖かい布団で好きなだけ眠ることができる。


今の生活に至った理由や目的を一言で言うならば、「自由に生きる」ために僕はこの生活を選んだし、選ばざるをえなかった。自由に生きるとは?それは自分のなかにあるものすべてを投じて、自分自身に忠実に、全身全霊で生きるということである。


河川敷のテント暮らしもしている。ここは僕の家である。郵便受けもある。土地の権利証もある。たった10万円で一生住める「家」がしかも神奈川のそこそこ便利な場所に手に入ったと考えれば悪い気はしない。


この土地には基本的には何もない。何も作らないから何も壊れない。作るから壊れるのだ。ここで特に何をしているわけでもない。強いて言うなら生活をしている。水タンクに水を汲んで運びこんだり、カセットコンロで簡単な調理をしてご飯を作って食べたり、お湯を沸かして珈琲を淹れたり、夜寒くならないように寝床を設えなり、天気のいい日は寝袋を干したりしている。


生活は、特に楽しいということはない。だからと言って、寂しいとかつまらないというわけでもない。不便もそれほど辛くはない。感動するようなこともない。ここには何もない。人との関わりもほとんどない。生活はすべて自己完結的に回るようになっている。毎日誰とも会わないし、誰とも話さない。たまに誰かと会って話をすると、声帯の劣化を感じるほどである。時間の感覚が平板化し、過去も未来も現在もすべてが均一的なものになる


これが本当の人間の根源的な生き方なのかもしれない。3日間くらいこんな生活をしてみたい。超オススメです。


   


僕はなぜ小屋で暮らすようになったか 生と死と哲学を巡って (DOBOOKS)