「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「セ・パ分裂 プロ野球を変えた男たち」(鈴木明)

  


セ・パ分裂 プロ野球を変えた男たち (新潮文庫)


いまは、当たり前のように日本プロ野球界は、セ・リーグパ・リーグに分かれているけど黎明期は1リーグ制だったことはもちろん知っていた。しかし、どのような背景で、どんなドラマがあって2リーグ制に移行したのか。


日本プロ野球史上最大の転換期となったセ・パ2リーグ分裂。昭和25年11月22日、神宮球場は初の日本シリーズに沸いた。日本野球の発展のために 多くの者が思い描いた2リーグ制。だが、球団運営に思惑を示す経営者。正力松太郎追い落としを目論む読売首脳。引き抜き合戦に動揺する選手―。虚々実々の駆け引きの末に迎えた大改革と、そこを行き来した男たちの生き様を描く」そのエッセンスを紹介しよう。


毎日オリオンズはこの一年間、マスコミに叩かれ続けてきたのである。リーグが「セントラル」「パシフィック」に分裂し、毎日新聞が「オリオンズ」を作った時、「毎日」は阪神タイガースの選手を大量に引き抜いた。いや、若林の表現では、選手たちは自ら望んで、オリオンズに加わったのである。


・昭和20年1月1日。広い甲子園のスタンドには500人ほどの客が「防空頭巾」をかぶって座っていた。若林は、ユニフォームに書いた「猛虎」という字を見せながら、元気一杯にグラウンドに現れた。仲間には藤村富美男、本堂保次、呉昌征金山次郎などがいた。相手チームは「隼」。公式記録には一切出ていないプロ野球チームは、実際には阪急、朝日などの混合による臨時編成チームである。「寒いな。でもいい。野球ができるのは、幸せだ」食糧もない。「油の一滴は血の一滴」といっている。野球は「敵性スポーツ」といわれ、冷たい目で見られている。庶民には、スポーツを楽しもうなどという余裕はない。ましては、今日は元旦である。死んでもタイガースを見ようと、いや、野球を見ようと駆けつけた日本人が、まだ存在しているのだ。


・若林はいまのプロ野球のやり方に反対だった。「選手権シリーズ」が存在していない、たしかにペナントレースはある。しかしこれが優勝だろうか?日本シリーズがあり、南海が優勝したのだったら、どれぐらい感動しただろうか?しかしもう一つのリーグを作るという考えは若林の頭の中にはまるでなかった。


阪神は勝ちすぎて後半独走したために、かえって甲子園には客が来なくなった。いつの間に「日本一」になったのか。その区切りがなかったし、ナインも「日本一」といわれても、格別の感激もないようだった。無論「胴上げ」もなかった。何かもっとけじめのついた「日本一」がなければ、ファンも興奮しない。選手にも「日本一」の自覚が生まれない。


正力松太郎は本気で「二大リーグ」といっているのだろうか。どのチームが組んで「二つ」になるというのだろうか


・毎日の新チームでやり直してみようかな。と若林は考えはじめていた。毎日の新チームは誰がみても弱体チームである。弱いチームに入って強いチームを倒す。逆転する。追いかけるチーム。勝って嬉しさに泣き、敗けて口惜しさに、泣く。それが若林が夢見ていたチームであった、ノンプロ集団の新生毎日は、こんなチームになるかも知れない……。やり直すには、少し年をとりすぎた。しかし、ここまでくればやり直すより他にない、そのために生き続け、戦ってきたのではないか。


どの球団も「ジャイアンツ」との対戦を望みたがる。心の底では「分裂」を望んでいない。そしてもし一球団でも裏切って、「四対四」になってしまったら、「ジャイアンツ」の加わっていない「四」はマイナー・リーグも同様の地位になり兼ねない。


若林忠志ってすごい人物だったんだなあ。野球ファン必読!オススメです。(╹◡╹)


  


セ・パ分裂 プロ野球を変えた男たち (新潮文庫)