私が小学生の頃、花の中三トリオが全盛時だった。私は、桜田淳子ちゃんが大好きで当時、トップアイドルだった。そして一番地味だった山口百恵があっという間に抜き出し、ヒット曲を連発し、トップスターに立ち、そして全盛時で引退したのが御存知の通りである。
さて、この本。当時、究極の百恵伝説を描き上げ、歌謡曲評論を思想にまで高めた歴史的名著、完全版となって、いま甦った!「百恵さん、あなたは菩薩だ! 鬼才がその情熱のすべてを傾けて捧げる熱烈なラブレター」そのエッセンスを紹介しよう。
・1979年に入ってから、山口百恵は感覚の全解放期からパワーの全解放期にさしかかっているように見える。人触れれば人を斬り、馬触れれば馬を斬る現在の山口百恵の、手のつけられない快走に大衆だけがついていっている。ただいまこの山口百恵は、歌唱力の充実や成熟寸前の美しさといった部分の足し算ではなく、雰囲気ないし風格といった総体の魅力が前面に出てきた状態にあるからであり、大衆もまた総体である。部分的な大衆というものはない。山口百恵と大衆の関係は相互の丸噛りである。
・山口百恵は美空ひばりを指呼の間にとらえている。やがて抜くだろう。その根拠は、他流試合の豊富さと「傑作の濫発」という二点で美空ひばりをうわまわっているからである。
・デビュー時、足が太く、沈む眼をした、歌もかくべつうまくなかった少女歌手が、その後六年間につんだ内部競合の激しさは想像以上のものがある。桜田淳子、森昌子、アグネス・チャン、麻丘めぐみらの同性同年代歌手をごぼう抜きにし、先行する天地真理、小柳ルミ子、南沙織を陥没させ、沢田研二を追いつめて男性歌手の牙城をおびやかし、いしだあゆみを抜き、越路吹雪を抜き、西田佐知子の全盛時の歌唱力を超え、ついに美空ひばりを指呼の間にとらえた。
・山口百恵が疑問の余地なく歌謡曲歌手であるにもかかわらず、艶歌歌手といわれない理由は、古賀メロディーからきれているからだ。ポップスも歌わず、他の歌手の歌も歌わずに、ずっとオリジナルで通してきたことは重要である。
・彼女は不可逆性の歌手である。彼女が「ひと夏の経験」をいま歌ったらパロディーである、なぜか、という間に古賀メロディーの歴史的終焉があって、山口百恵は宇崎竜童・阿木耀子の実現であり、宇崎・阿木の音楽は山口百恵の実現である、という歌謡曲の性格変化があるからだ。
・自分の煩悩を歌に昇華させた山口百恵は、他人の煩悩にも鋭敏に反応するだろう。他人の煩悩を自分の悲劇にくり込んで山口百恵はさらに大きくなるだろう。すなわち菩薩である。
この本と併せて、山口百恵ベストを聴いてるんだけど、今聴いてもいいねえ!個人的には、「横須賀ストーリー」以前の初期が好きだなあ!山口百恵は再評価されるべきだね。オススメです。(・∀・)