「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「オカルト 現れるモノ、隠れるモノ、見たいモノ」(森達也)

    


オカルト 現れるモノ、隠れるモノ、見たいモノ (角川文庫)


最近、ハマっていて全著作読破を目指している森達也氏。テーマのとりあげ方と掘り下げ方が実にオモシロイよね〜。(・∀・)

さて、この本。「それは科学か?インチキか?本当のオカルト(隠されたもの)か?なぜ人はほとんどが嘘だと思いながら、この世界から目をそらさずに来たのか。否定しつつも惹かれてしまう「オカルト」。その境界をたどる」そのエッセンスを紹介しましょう。


・一般に「超能力」を持つといわれる子どもたちに共通した傾向がある。

1 人目を気にし、念力を信じない人がいるとできない
2 明るいところより薄暗いところを好む
3 カメラは視線に対して後ろ向きでないとだめ 

ということだ。


オカルトの語源はラテン語「occulere」の過去分詞「occultus」で、意味は隠されたもの。ならば隠した主体は誰なのか


・テレビ・ドキュメンタリー『職業欄はエスパー』を発表し、同タイトルの本も一冊書いた。いろいろな場所に足を運び、いろいろ聞いた。いろいろな人に会い、いろいろ見た。そのうえで書くけれど、彼らが意識的に隠そうとしているというよりも、現象そのものが人の視線を嫌うという印象を僕は持っている。オカルトは観察者を翻弄する。隠れたかと思うと小袖の先をちらりと見せ、思わず目を凝らせば、また姿を消す。特に検証とか実験とかで意気込むときに、この現象は顕著になる。そんなことの繰り返しだ。


・スポーツ選手の成績や歌手の音程、料理人の味付けなどには常にゆらぎがあるように、人間の意識や行為に揺れが生じることは当然のことなのに、こと超能力に関してだけその曖昧さがまったく許容されないこの現状は、誠実な能力者にとっては大きな不幸であるといえる。


・科学にはゲーム的な要素があります。そのルールは二つ。いつ実験しても、そして誰が実験をしても、同じ効果がでなければならないということ。でも超能力や超常現象は、この二つのルールに従うことが難しいだって心の働きですから。思うようにはならない。つまり科学というゲームの外側に最初から位置しています。だから実証するためには、科学の側が枠を広げるしかないんです。でも大多数の研究者は、この科学のパラダイム固執します。


その他、「羊・山羊効果」「『でもオレは結局曲げちゃうよ』超能力者はふてくされたように言った」「『よく来てくれた。そしてよく呼んでくれ』恐山のイタコは語り始めた」「『毎日、4時40分に開くんです』店主はてらいがなかった」など。


へえ〜恐山のイタコに会ってみたいな〜!不思議系大好きな方、オススメです!(・∀・)


    


オカルト 現れるモノ、隠れるモノ、見たいモノ (角川文庫)