「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「東海林さだおの大宴会」(東海林さだお)

全作品読破を狙っている東海林さだお氏。彼の「食」に対する表現力はまさに天才である。


さて、この本、「食エッセー界の金字塔、ご存知「丸かじり」シリーズを著者自らが厳選・精選した、「弁当箱」「フルコース」に続く傑作選。初めて読む人も、丸かじりマニアを自称する人も、抱腹絶倒間違いなし!」その中で代表的な二つを紹介しよう。


【チャーシューの“行く春”】


チャーシューは、ラーメンの丼の中ではとてもエラソーにしている。海苔、メンマ、ナルトなどと一緒に並んでいると、一族の長という貫禄さえ感じさせる。チャーシューは丼の中では間違いなくキャリアである。いきなり本部長


ところが、こうしたチャーシューも、チャーシューメンの丼に配属されると様子が一変する。まわりは本部長だらけだ。右を見ても本部長、左を見ても本部長。おつまみのチャーシューは、本部長が転んで将棋倒しになっているのだ。だからラーメン屋の厨房にいるときのチャーシューは、どこに配属されるか戦々恐々としているはずだ。おつまみの皿にだけは配属されたくないと思っているはずだ。


ラーメンの周辺では権勢を誇るチャーシューも、ひとたび高級中華料理店に配属されると地位は更に低下する。チャーシューは、コース料理の最初の前座として出てくる。蒸し鶏、クラゲ、ピータン、アワビの冷製などといっしょに皿に並ぶ。どう見ても、この皿の中ではチャーシューの地位が一番低い。ラーメン屋では本部長だったのに、ここではノンキャリである。チャーハンの中にはこま切れ状態になって配属され、ノンキャリ以下、パートのおじさん扱いとなる。チャーシューがラーメンを懐かしがるゆえんである。


【チクワ天讃江】


「チクワは疲れている」という名言を吐いた人がいるが、こんど一度ようくチクワを観察してみてください。丸ごと一本、チクワを皿に横たえてじっくり見てやってください。どうです、チクワは疲れているでしょう。なんだからシワシワで、ぐったりしていて、ところどころ命からがら被災地から逃げてきたような焼きこげがあって、もう欲も得もない、とりあえずちょっと横にならしてもらいますよ、と言っているような気がするでしょ。ぐったりと横たわったその姿には生活のやつれが見える。少なくとも元気に見えない。同じようなすがた格好のソーセージは、見るからにとても元気だ。見るからに張り切っている


コロッケは確かに生活感はあるが、疲れている、というふうには見えない。生活感があるということは苦労をしているといういことでもある、苦労しないで育った人には生活感はない。たとえばカマボコは苦労してない。苦労してないから性格もわりとさっぱりしていて、かじると弾力はあるもののコロッと噛み取れる。そこへいくとチクワは苦労しているから性格もねっちりしている。カマボコなんかよりずっと柔らかいのに、意外にあっさりとは噛みきれない・少し伸びたりして抵抗する。この“苦労人のネチネチ”がチクワの味わいなのである。だからチクワがそばにいると、それだけで安心するところがある。


なるほど!ときどきチクワを食べたくなるのは安心感だったのかあ!疲れた時には東海林さだおのエッセイが特効薬である。オススメです。(^^)