「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「柔道の神様」とよばれた男 空気投を生んだ三船久蔵十段(嶋津義忠

最近、ずっと読んでいる柔道の本。名前は聞いたことがあるけど、実態はこの本で知った講道館三船久蔵十段。スゴイ…こんなにスゴイ人だったのかあ…。(・∀・)


「体重別階級のない時代、身長159センチ、体重56キロの小柄な体格にもかかわらず、百戦百勝!明治16年(1883年)、岩手県久慈に生まれ、悪ガキとして少年時代を送った三船久蔵は、仙台二中へと進学し、そこで柔道と運命的な出合いを果たした。師につくことなく、独学で柔道を習得していった久蔵は、瞬く間に上達していく。上京して講道館に入門する久蔵。ひたすら強くなることを願って稽古に打ち込み、異例の早さで昇段を遂げた彼は、講道館を代表する柔道家となり、全国大会や天覧試合等で、数多の強敵を次々と倒していく。個性溢れる弟子たちを育てる一方で、不断の稽古と技の研究の末に辿り着いた「押さば回れ、引かば斜めに」の思想は、やがて伝説の神技「空気投」のほか、さまざまな新技を生み出したのだった……。「理論の嘉納(治五郎)、実践の三船」と並び称された不世出の柔道家の、波瀾万丈の生涯を描いた長編小説」そのエッセンスを紹介しよう。


失われた柔道?!圧巻!三船十段の秘技「空気投げ」と現役の有段者との乱取り
https://www.youtube.com/watch?v=IIEW1B2duT4


衝撃の出会いだった。久蔵は息が詰まり、心臓が激しく鼓動を打つ。道場の窓枠にしがみついている手は強張り、足が小刻みに震えて来た。これだ、と思った。おれが探してたんは、これなだべ。それは、久蔵にとって、運命の出会い、とも言えるものだった。幼い頃から、久蔵の中ではなにかが燃えさかっていた。そのなにかがやっとかたちを見せてくれたのだ。それが柔道だった。自分はこの柔道を求めて身悶えし、突っ走り、相手構わず我武者羅にぶつかって行ったのだ。


久蔵は身についた数々の技を、一つ一つ、合理的、科学的に研究し始めた。どのようなときに、相手に虚(隙)が生ずるのか。そのとき、なぜ、技がかかるのか。それを技ごとに克明に分析し、整理する。その研究は、新しい技を編み出すことにある。


誰の前に出ても、平然としているのが久蔵だった。先達である、年上である、その二点については、相手が誰であれ経緯を払う。が、恐れる理由はない。どれほどの偉業を成し遂げた人物でも、人間としては対等である。それが久蔵の考えである。相手が錚々たる肩書を持っていても、久蔵は動じない。師範たる嘉納治五郎の前にあっても、そのことに変わりはない。


形の稽古、乱取、試合、技の研究、そのどれをとっても、久蔵には大切なものなのだ。勝利の喜びのために試合をするわけではない。負けないために稽古に励むのでもない。久蔵にとって、柔道ほど愛しいものはないのだ。ましては、喧嘩で相手をやっつけて、喜んでいるわけでは断じてない。久蔵は持てる能力のすべてを柔道に注いでいる。それが久蔵にとって、生きるということであるからだ。その結果、久蔵の柔道も、人間と社会の進歩、発展に役立つはずだと、久蔵は信じたい。


久蔵の稽古は、さらに厳しいものになって行った。自分を鍛えるのに、一切の甘えも妥協も許さない。端から見ると、まるで自分を苦しめているかに見えることもある。子供の頃、久蔵を衝き動かしていたのは、荒ぶる魂だった。道家として立派な成功を収めたいまも、そのことに変わりはない。その魂が、先へ先へと久蔵を誘って行くのだった。まるで、柔道という見果てぬ夢を、追い求めているからのようである。だから、久蔵は休むことを知らない


「相手の体に一指も触れることなく、その前に立った瞬間、ぱっ、あと相手が飛んで行く。そんな技はないものかな」小兵のものが、小技ではなく大技でもって、大兵の相手のを投げる。それは小兵の久蔵にとっての生涯の課題だった。治五郎はこの新技を認め。自ら、隅落(すみおとし)、と命名した。この隅落は相手に触れることなく、相手を倒しているかのように見える。そこから、いつしか、空気投げ、と呼ばれるようになる。この、一見、摩訶不思議な空気投は、柔道界に限らず、世間の評判になった。とはいえ、余人に使えるような技ではない。そのことは久蔵自身がよく知っていた。


「これまでの柔道は、押さば引け、引かば押せ、と行って来た。それを、押さば回れ。引かば斜めに、とおれは言いたい」そこから久蔵はさらに考えを発展させた。このところ、頭にあることは、「倒すこと」より「倒れないこと」だった。「倒されないこと」ではない。これが相手を制する最善の道ではないか、と思われる。


・(体重別について)競技本位に考えれば、あってもよいことだとは思う。しかし、柔道は力較べでもないし、興行でもない。柔道の妙味は。柔能く剛を制す、小能く大を制す、ところにある。体の大小にこだわっていては、その精神を養うことが疎かになるのではないだろうか。


すごいなあ…空気投って、現在出来る柔道家はいるのだろうか!?体重制がない柔道ってスゴイなあ。柔道をやりたくなった!超オススメです。(・∀・)