テレビでおなじみのジャーナリスト・大谷昭宏氏。彼は生まれたときからジャーナリストになろうと思っていたという生粋のジャーナリストなのだ!(・∀・)
あの「三菱銀行人質事件」「グリコ・森永事件」では現場では何が起きていたのか!?そして事件記者としての生き方とは?そのエッセンスを紹介しよう。
・私は生まれたときから新聞記者になろうと思っていた。自分としてはほぼそれに近いと思っている。小学校三年生のときには、自分でガリ版を切って、「風」だか「そよ風」だかあのタイトルをつけた新聞をクラスの中で作っていた。それも、学級新聞なんてもんじゃない。家で読んだ新聞記事の中から興味があるものを抜き出して、自分なりの解釈をつけて見出しをつけて新聞に載せ、みんなに配って担任の女性教師や親をあきれさせていた。なにしろ、そこには殺人事件だの幼女誘拐事件なんかが載っている。だけどクラスの中ではこの新聞、結構、人気が高かったと自負している。
・「泣きたくなるほど好きな町、泣きたくなるほどいやな町」釜ヶ崎には、23,000人の日雇い労働者が暮らしている。その数も40年前とほとんど変わっていない。その労働者たちが日々暮らす、簡易宿泊所、いわゆるドヤが58軒ある。ちなみに「ドヤ」は「宿」をひっくり返したもの。「釜ヶ崎」の語源は、金のないものは、生活必需品のお釜まで質入れして、その日の路銀を作って日雇い仕事に行き、帰ってきて真っ先にお釜を質から出して夕餉に間に合わせた。そこで釜ヶ崎というわけだ。
・もう一つの説はオカマの多い町で、女装して街角に立つ男娼たちが午後、真っ先に銭湯につかる。そこでオカマが先、「釜ヶ崎」というわけだ。どれが本当かわからないし、どれも当てずっぽうという気もする。
・「マッチ一本50円」かつては、路上で女から声をかけられて、その意味がわからないようでは、この街の住人ではないと言われていた。女がマッチ一本を男に渡し、それが燃え尽きるまで下半身を見せる。だから「親指と人差指にやけどの痕がある男はマッチ見せの常連客。しつこいド助平なんや」と嘘かまことかわからないバカっ話を聞かせてもらったのも、労働者と一緒にコップ酒を呷っていた、わが若き日の屋台の夜だった気がする。
その他、「魚のおいしい所からのスタート」「事件記者への道筋」「サツまわり〜裏社会のおきて」「忘れ得ぬ事件〜『19歳OL殺人事件』『三菱銀行人質事件』『グリコ・森永事件』『朝日新聞阪神支局襲撃事件』」「読売新聞大阪社会部〜『我が師・黒田清』『黒田軍団とは何だったのか』『本田靖春さんのこと』」「活動の場をテレビに移して」「メディアと警察、検察」など。
スゴイねえ。このような人がいるから新聞、ラジオ、テレビ、ネットでの最新ニュースを知ることができるんだよね。オススメです。(・∀・)