同じ食べるのなら、オイシイものを食べたいし、誰がナント言おうと、自分の好きなモノを食べたいものだよね。(・∀・)
さて、この本は37人のあの!文人、文豪たちの食についてのこだわりの本なのだ。
『「何か喰いたい」臨終の漱石は訴え、葡萄酒一匙を口に、亡くなった。鴎外はご飯に饅頭を乗せ、煎茶をかけて食べるのが好きだった。鏡花は病的な潔癖症で大根おろしも煮て食べたし、谷崎は鰻や天ぷらなど、こってりした食事を愉しんだ。そして、中也は酒を食らって狂暴になり、誰彼構わず絡んでいた。三十七人の文士の食卓それぞれに物語があり、それは作品そのものと深く結びついている』
なかでも私の好きな山頭火の章を紹介しよう。
【種田山頭火ー弁当行乞】
山頭火には食べ物の句が多い。日記でも、食事のことばかり書いている。
食事について書かれない日はない。行乞して、米やお金を貰い、その金で宿に泊まるのである。お布施がないときは野宿した。
その日貰った「功徳」を「功徳は二十八銭、米九合余」と明細を記録し、宿の食事もひとつひとつていねいに書いている。「弁当のおもいのが嬉しかった」「高知城の下でお弁当をひらく」「何しろ腹が減っては読経が出来ない!」「昼食は街のおでんやで、夕食は高橋さんの家で」
行乞行脚する山頭火が考えているのは、その日いくらのお布施を貰い、なにを食べ、弁当をどこで食べるか、ということである。一日中食べることばかり考えている。
酔うてこほろぎと寝ていゐたよ
真昼しづかに飯が真白く盛らるゝ
噛みしめる飯のうまさよ秋の風
大食漢の山頭火は、日記の中で腹が空くことの恐怖をたびたび書いている。飯をくわないことには行乞ができない。行き倒れを願いながら空腹に耐えている、昭和14年の其中日記には、
「ああ三日ぶりの御飯!その白さ、そのあたたかさ、ああ、その味は貧乏しないと、飢えたものであいと、とうてい解るまい、涙がこぼれる味だ!」
そして「食べたいだけ食べた気持はーのんびり、ゆっくり、がっかり、ぐっすり、だった!」とも書く。11月10日には「墓地はしづかなおべんたうとひらく」と詠み、昭和15年2月27日には「貧乏でもかまわないけれど、米だけは不足なしに暮らしたい」と記した。
もらうて食べるおいしい有りがたさ
秋の夜や犬から貰つたり猫に与へたり
さあ、今年もいっぱい美味しいものを食べよう!オススメです。(・∀・)