「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「東映フライヤーズ全史 よみがえる“暴れん坊たち”の熱い記憶」

ようや2015年プロ野球も終わったね…淋しい…。(T_T) プロ野球ファン40年以上の私にとっては、今は亡き球団に思いを馳せることがある。今日は、北海道日本ハムファイターズの前身、東映フライヤーズを紹介しましょう。


終戦直後、荒廃の中で誕生したセネタースは、やがて鉄道会社の東急、映画会社の大映東映、さらには不動産の日拓ホーム、食品会社の日本ハムと親会社が変わった。そのなかでセネタース、フライヤーズ時代は、決して強かったわけではない。ただ、いつも個性的で、ヤンチャで、荒削りな選手が多かった。



張本勲



「(62年の優勝で)大喜びし、胴上げしたけど、日本シリーズに行ったら、いきなりに連敗。甲子園でね。そこから東京まで当時は夜汽車、夜9時。阪神と一緒の列車に乗ったんだ。連敗もしたし、疲れもある。ふつうなら30分もすれば寝るわな。でも、東映は違うんだ。土橋(正幸)のアンちゃんが、『よし、動くナイトクラブだ』って言って(笑)。車掌にあるだけのビール持ってこさせて、つまみはスルメとピーナッツだけど、どんちゃん騒ぎをした。さすがの水原(監督)もびっくりしたらしいよ。こいつらバカかって(笑)怒鳴り散らそうかなと思ったけど、そこで思いとどまったらしい。このクソ度胸と若さ。これにかけてみようかって。実際、。神宮球場に行ったら、ほとんど寝てない連中がものすごく元気。よしこれならいけると思ったらしい、そこから引き分けをはさんで4連勝。水原さんは涙を浮かべて、みんなの手を握り『ありがとう』って行ってた」


青春は東映だな。18歳から入って、がむしゃらにやったのが東映。給料は安かったけど、楽しかったよ。新人のときは移動でも自分の荷物意外にチームの荷物、ボールとか持たんといかんし、九州行くときは一日かかるから通路に新聞紙敷いて寝てた。いま考えればロマンがありましたよ。苦しかったけど、うまくなりたい、打率を上げたい、勝ちたい、給料上げたい、それしかなかった時代。シーズン中は全部野球のことだけに集中してた。一方、優勝もしたし、いい思いをたくさんしたのが巨人。野球選手として一番充実し、総仕上げの時期が巨人だった。最後はロッテにも行ったけどね」



▲「ミスターフライヤーズ」&三塁打記録を持っていた毒島章一。1977安打で惜しくも引退。



▲「赤バットの川上」と「青バットの大下」と言われた天才、大下弘



▲「江戸っ子投手」土橋正幸



▲唯一、両リーグで1000本安打を放った大杉勝男


輝かしいプロ野球の歴史は、これら先人たちの礎の上に成り立っているんだね。感謝。プロ野球ファン必読。オススメです。(・∀・)!