「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「調理場という戦場 「コート・ドール」斉須政雄の仕事論」

最近、いろいろな飲食店に行って、厨房を見させていただく機会が多い。


プロの調理人って大変だあな、調理場って戦場なんだって。(・o・) そのエッセンスを紹介しよう。


ひとつひとつの工程を丁寧にクリアしていなければ、大切な料理を当たり前に作ることができない。大きなことだけをやろうとしていてもひとつずつの行動が伴わないといけない。視野が広がっていない山は高くない。そんな単純な原則が、料理においても、とても大切なことなんです。料理人という仕事をしていると、日常生活の積み重ねがいかに重要なことかがよくわかります


程度の差はあれ、いいものを作ろうと目指していれば、キャパシティぎりぎりの仕事をすることになるはずです。要するに、緊急事態はいつでも起きかねない。誠実なことは料理人のいちばんの資質でしょうね。


・フランスに行く前にぼくがいた日本の調理場には「みんなと仲良く波風をたてない」という雰囲気が充満していたのですが、フランスに渡って「『みんな仲良く』なんてありえない」と気づきました。自分の常識を通すためには、さまざまな軋轢を打破して、時には争いごとだって経験したいと、やりたいことをやれないじゃないですか。激しくて、体力のある文化。フランスの激しい文化はきっと、食べ物から来ているものが大きいのではないでしょうか。


ぼくは仕事以外のものは捨てよう。ぼくには資質がないのだから、やりすぎぐらいが当たり前のはずだ。「やりすぎを自分の常識にしなけりゃ、人と同じ水準は保てまい」というぼくの仕事への基本方針は、この時からはじまったように思います。そして「毎日やっている習慣を、他人はその人の人格として認めてくれる」という法則のようなものを、ぼくは、ずっとあとになって知ることになりました


・例えば、仔牛のフォン(ダシ汁)を作ることと人生とは、とても似ていると思いました。ソースを作る料理人の思いが、子を思う親の優しさに重なるように感じた。仔牛の骨と野菜と水は素材の時点では、何の価値もありません。どう生まれ変わるのか。見当がつかない。赤ん坊がこの世に生を享けた時も、その子が将来どのぐらいの器の人間になるのかについては誰にも分からない。料理人は、骨や野菜に熱を加えます。沸点に達したとは、丁寧にアクを掬い取る。これは子どもに対する親の姿に似ているなあと感じました。よいところが湧き出るようにじっと待つ。悪いところは丁寧に取り除いてあげる。


・自分の店を持ったときにわかったのですが、「精神力でやる」と言うよりは、生命力で仕事をやれた時にこそ、いい料理を提供できるのです。精神力のように、意識的に維持させるものでない強さ。身体からにじみ出る生理の力でものを作ったほうが、ずっとおいしいし面白い。身体にしみついたもののほうが、ずっと素晴らしいのです。


「愛しているものがあったら、自由にしてあげなさい。もし帰ってくればあなたのもの。帰ってこなければ、はじめからあなたのものではなかったのだ」こんな言葉を聞いたことがあります。その通りだなあと感じました。


・運命という名前の楽譜を手にしても、それぞれが独特の演奏をしますよね。演奏の価値は、それぞれからにじみ出てくる個性ひとつでガラッと変わる。それを人は「かけがえのないもの」と呼ぶえわけでして……調理場でも、ほんとうは人間の生き方から出るダシが、「いちばんおいしいもの」なのです。