「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「黒い花びら」(村松友視)

水原弘をご存知だろうか?1967年「黒い花びら」第一回日本レコード大賞を取った伝説の歌手。私の記憶では「ハイアース」のホーローカンバン。そしてアニメカムイ外伝の主題歌を歌った歌手だ。


水原弘が生涯のほとんどをついやしたのは、“破壊へ向けての生活無頼”と“歌うこと”の二つだった―昭和歌謡界黄金時代を疾風の如く駆け抜けた、無頼の歌手・水原弘の壮絶な生涯。酒、博打、借金に満ちた破天荒な歌手生活とは?関係者からの綿密な取材を重ねつつ、波瀾万丈の人生を描く感動のノンフィクション」そのエッセンスを紹介しよう。


ロカビリー、パラダイス・キング、「黒い花びら」、第一回レコード大賞、おミズ、「黒のムード」、巨額の借金、トバク、「君こそわが命」、地方のキャバレー回り、芸能界きっての酒豪、急性アルコール肝炎による42歳の死…それらのプラスとマイナスの札を、一気にかき混ぜてみると、歌手としての水原弘を超える“男”水原弘の色があらわれてきた。            


・将来に向けての純粋な夢を抱きつつ、水原弘はスターとしての時間を着実に味わってゆく。過去を暴露する記事もふくめて、スターの“毒”が水原弘の躰に回ってゆく。


・23歳のとき、第一回レコード大賞をとった。“黒い花びら”で芸能界に華々しくデビュー。遊び続けた。歌と酒の日々。その遊びは“役者の勝か、歌の水原か”と、喧伝されるほど徹底したものだった。見も知らぬ男たちを引き連れて銀座のクラブからクラブへと渡り歩く。飲む酒はレミーマルタン。一晩で一本は確実にあけた。関西に行けば、、京都・祇園の料亭にいつづける。すべて自分の金。昭和34年当時で、一晩に300万円も飲んだことさえあった「自慢するわけじゃないが、オゴリ酒は飲まなかったね。人の金で飲む酒はうまくないよ。いやだね。どんなに苦しくてもいい格好する。それが俺の身上だったんだ」人気が続いている間は。それでよかったしかし、芸能界の常、やがて人気は低迷する。これまで彼をちやほやしていた人も、一人二人と彼の側から離れていく。さびしかった。人間の底にある“イヤシサ”に、彼は絶望した。その絶望、怒りをまぎらすために、彼はまた酒を浴びた。 


・親しい友人のひとりは、水原に忠告した。「歌手は、浮き沈みが激しい。沈んだときを乗り切るためにも、稼げるときは、蓄えたほうがいい」水原は、いきなりぶんなぐった。前歯が二本、折れて飛んだ。
「馬鹿野郎!艶歌の歌手ってのは、読んで字の通り、てめえの生き方に艶がなくては駄目なのさ。それを、サラリーマンのようにチビチビ金を貯めるようなケツの穴の小せえことをしていちゃ、艶も花もあるもんか。黒い花びらが、黒いしおれ花になっちまうぜ!」


水原弘のことを「世界中で一番好きな男であり、世界中で一番嫌いな男」という長良じゅん氏。「人間的には最高の奴だったけどお金の使い方が分からなかったな。でも、誰かがかならずそばにいて、最終的には誰かが救けてくれるってわけだから、それだけ彼には魅力があったんですよ。もったいない。今生きていたら、世界に進出できる歌手ですからね、唯一の歌手ですよ」この言葉の中には、長良氏の思いがすべてコメられていると言ってよいだろう。あったかい、魅力ある、どうしようもない、そして歌の力が最高の奴……ということになるのだろうか。


水原弘が42年間の生涯のほとんどをついやしたのは、酒、遊び、借金が三位一体となった“破滅へ向けての生活無頼”と“歌うこと”の二つだった。ステージを降りてからの“無頼”のせいで、水原弘の借金は天文学的な数字となり、身体は病魔におかされた。


いや〜知らなかった…スゴイ、スゴすぎる!そのハチャメチャな人生にどこか憧れている自分がいる。こんな人生があってもいい。オススメです。(・∀・)!