「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「日本史の謎は「地形」で解ける 環境・民族篇」(竹村公太郎)


このシリーズは、間違いなく今年読んだ本のベスト3になるだろう!いままで聞いたことがない説だっ!


「日本全国の“地勢と気象”に注目する著者が、歴史の謎に新たな光を当てるベストセラー第3弾。数千年の長きにわたり、日本文明を存続させ てきた「環境・民族」の秘密を“地形”から解き明かすシリーズ集大成の一冊!」なかでも新潟ケンミンの私が、もっとも響いた項目を紹介しよう。


【なぜ「日本の稲作文明」は湿地帯を克服できたか〜田植えは「胸まで浸かる」もの】


日本文明と日本人を解き明かすとき、「治水」は重要なキーワードである。新潟平野はもともと大きな「潟」であった。潟から生まれた平野は、どこも水はけが悪い。その最たるものが新潟平野でった。広大な信濃川流域のどこかで大雨が降れば、濁流は新潟平野を襲う。その水は逃げ場がなく、この平野は甚大な洪水被害を繰り返し受けていた。新潟平野の歴史は、洪水の歴史であった。


1922年(大正11)年、大河津分水路は国の直轄工事として完成、関屋分水路は1972年に竣工し、信濃川の治水に多大な貢献を果たした。新潟平野に住む人々はこの二つの分水路で、安全な生活を遅れることとなった。(関屋分水資料館


その中で、新潟平野ではつい最近まで胸まで泥に浸かって田植えをしていた、という研究者の一言があった。胸まで浸かって田植えをしていた?縄文時代、海面は今より数メートルも高く、日本の沖積平野やすべて海の下であった。現在の日本で平野と呼ばれているところはどこも湿地帯であった。しかし、私は一度としてその湿地帯を体験したことがなかった。



それはまさに、胸まで浸かって田植えをしている映像であった。長い竹を横にして、それを握り締めながら田植えをする。その長い竹竿は、泥に沈まないための救命装置であった。



田植えだけではなく、冬場の客土も苛酷な作業であった。客土とは小舟に載せた土砂を水の中に撒き、足で踏みつけて春までに泥田を1センチでも高くしようとする作業である。その土砂は、自分たちにとって大切な大切な土であった。お客様のように大切な土であったので、この作業は「客土」と呼ばれたこの農作業は、湿地にしがみついていると表現する以外になかった。この湿地の風景こそ、稲作文明の日本の原風景であった




その他、「なぜ信長は「安土の小島」に壮大な城を築いたか」「なぜ家康は「街道筋の駿府」を終の棲家に選んだか」「なぜ世界一の「リサイクル都市」江戸は崩壊したのか」「なぜ江戸城の「天守閣」は再建されなかったか」「なぜ江戸時代には、車の動力が「人間」に退化したか」「なぜ正倉院の「神秘の宝物」は盗掘されなかったか」「なぜ大阪の街は「五・十日」渋滞が名物なのか」「なぜ大阪は日本の「都市の原点」であり続けるか」「なぜ「世界屈指の雪国」で高度文明が創られたか」…など。


ご先祖様や先人に手を合わさずにいられない…。感動の一冊!超オススメです。(・∀・)!