「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「三回死んでわかったこと」(川津祐介)

俳優の川津祐介さんは、三度の臨死体験があるのだという。最初は19歳。敗戦後の社会に絶望して自殺を図った。このとき「地獄に行った」。34歳、撮影中の事故で「天国を見た」。さらに59歳、三度目の臨死体験で「自分が生かされていること」を悟った。このような体験を重ねて「人は大いなる何者かに生かされている」ことを実感する。そのエッセンスを紹介しよう。


【十九歳、地獄に行った】


十九歳で自殺に失敗したとき、私は真っ暗な恐怖の世界に自分が堕ちてゆく感覚を体験した。三十四歳、撮影中の事故のときには、明るい世界に引き上げられてゆく感覚を体験した。私は、十九歳で感じた世界を地獄と名づけ、三十四歳のときに垣間見た世界を天国と呼ぶことにした。二つの体験から、私は死ぬときの心のあり方が、死んだ後に行く場所を決めるのではないかと考えた。天国に行くか、地獄に行くか。どちらの道を選択するかは本人の生き方によって決まると考えた。地獄に行くのは嫌だった。絶対に嫌だった。地獄に堕ちず、天国に帰りたいと思った私は、そのために「自分が守り生きる原則」を考えた。自分の心に嘘をつかない。他人を責めない。他人を苦しめない。常に正しい道を歩む。愛と感謝で心を満たして生きるなどその原則に則って生きることにした。



・突然、奔流に巻き込まれた。奔流はまっしぐらに下に向かって流れていた。意識を澄ますと、数千、数万の魂がひっそりと息を潜め、否、呼吸することができぬほどの恐怖にさいまなれながら、奈落に向かって堕ちてゆくのが感じられた。自分が幽霊になってしまっていることには誰も気がついていなかった。私もその一人だった。ただ、堕ちてゆく。漆黒の闇に包まれて堕ちていく。堕ちるにつれて奔流はスピードを増し、闇は深くなっていった。そして、堕ちてゆくに従って孤独感と恐怖感が鋭く魂に突き刺さってきた。その恐怖感、その孤独感は、自分が肉体の中にいたときには想像もできないほどの厳しさ・激しさを持っていた。裸の魂になり、魂だけになって味わう孤独感・恐怖感は想像を絶するものがあった。私は肉体の中にいて、肉体と一緒になって味わった孤独感や恐怖感は、ぬるま湯そのものであったことを知った。


【三十四歳、天国を見た】


・私はいつしか木の梢より高いところから全体を見ていた。その周りで一人ひとりが一生懸命に自分の人生を生きていた。私もその一人だった。ただ、私一人が死んでいた。一人ひとりが本当にいとおしいと感じられた。私自身もいとおしく感じられた。人生っていいな。人間て本当にいといしい存在だった。心の奥からそんな思いが滲み出してきた。心の中にはただ歓びと感謝だけがあった。その歓びと感謝は、どんどんふくらんでいった。そしてそれにつれて、上昇速度は速くなっていった。世界は明るくなっていった


・私たちはこの世界に生まれてきた。なぜこの世界でなければならなかったのだろう。それは、この世界にでしか果たすことが出来ない使命があったからであり、もう一つはこの世界でしか魂が味わうことができないことがあったからである。それは「思い通りに運ばない事態」との遭遇だ。この世界では誰の人生にとっても、思い通りに運ばないことが準備されている。実はそのことこそが魂が味わいたかったことなのだ。魂は思い通りに運ばないことに出会うと、一生懸命智慧を使う。智慧を使うことで、自分に智慧の力がつくことを魂は知っている。その仕組を見破ると、人生はとたんに面白くなる。


・この世界のもう一つの楽しみは、どんなことにもタイムラグ(時間のずれ)が生じるということだ。そのタイムラグを使って、工夫をしたり、修正をしたり、方法を磨き上げたりすることができる。そのプロセスの中で魂の智慧は深められてゆく。では、智慧を身につけて魂は何をしようとしているのか。それは、その魂にしか果たすことができない使命を果たすことだ。私たちはただ一回の人生で魂の使命を全部果たすことはできない。だから、何度も何度もこの世界に生まれ直してくるのだと思う。


いや〜スゴイ!(@_@) この手の本の中ではリアルで描写が細かい。本当にあの世を体験したものでなければ書けない表現だ。生きることに失望している人には特にオススメです。(・∀・)