「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「虚ろな十字架」(東野圭吾)

全作品を読破している東野圭吾の最新作を読みました。読み始めるとヤメラレナイ、止まらない…かっぱえびせん状態」!一気に読んでしまいました!(・ω<)し、しかし…爽快感とはならず、なんともいえない読後感…。テーマは「死刑」


娘を殺されたら、あなたは犯人に何を望みますか。別れた妻が殺された。もし、あのとき離婚していなければ、私はまた、遺族になるところだった──。東野圭吾にしか書けない圧倒的な密度と、予想もつかない展開。
私たちはまた、答えの出ない問いに立ち尽くす」 そのエッセンスを紹介しよう。


遺族は単なる復讐感情だけで死刑を求めるのではない。家族を殺された人間が、その事実を受け入れるにはどれほどの苦悩が必要なのかを、どうか想像していただきたい。犯人が死んだところで被害者が蘇るわけではない。だが、何を求めればいいのか。何を手に入れれば遺族たちは救われるのか。死刑を求めるのは。ほかに何の救いの手が見当たらないからだ死刑廃止といういのなら、では代わりに何を与えてくれるのかと尋ねたい。


・仮に死刑判決が出たとしても、それは遺族にとって勝ちでも何でもない。何も得ていない。ただ必要な手順、当然の手続きが終わったに過ぎない。死刑執行が成されても同じことだ。愛するものを奪われた事実は変わらず、心の傷が癒やされることはない。だったら死刑でなくても構わないではないかという人もいるだろうが、それは違う。もし犯人が生きていれば、「なぜ生きているのか。生きる権利が与えられているのか」という疑問が、遺族たちの心をさらに蝕むのだ。


・人を殺せば死刑ーそのように定める最大のメリットは、その犯人にはもう誰も殺されたないということだ。


・あなたの御主人も死刑に処せられるべきだと私は思います。でもそうはならないでしょう。今の法律は犯罪者に甘いですからね。人を殺めた人間の自戒など、所詮は虚ろな十字架でしかないのに。だけどそんな半端な十字架でも、せめて牢屋の中で背負ってもらわなければなりません。この罪を見逃せば。すべての殺人について見逃す余地が生じることになります。そんなことは絶対に認められませんから.


真の意味で「償う」ってどういうことなのか…もしかしたらこの本に書かれていることではないだろうか!?考えさせられる一冊。超オススメです。(・ω<)