「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

奇跡のラーメン店「永福町大勝軒 草村賢治」(ハマ風 2014.4)

もうすっかり春だよね。でも私の故郷、新潟県十日町市松之山支所前では、今日現在でも、164cmの積雪がまだあるのだ!(・。・)!

http://www.matsunoyama.com/


その松之山出身の大先輩のことを、五行歌誌 ハマ風」で紹介させていただきました。その全文を紹介しましょう。


【ハマ風「故郷の先人たち 新潟県松之山町 草村賢治」(おのづかてる)】


私の生まれ故郷は、新潟県東頸城郡松之山町である。父母も祖父母も曾祖父母もずっとこの地で生まれ育った。


日本有数の豪雪地帯であり、「松之山温泉」は「有馬温泉」「草津温泉」と並び日本三大薬湯に数えられる。


ホウ酸の含有量が日本一。私的にはこの温泉は日本一である。


シャケが生まれた川に帰っていくように、年に一度にお墓参りのため里帰りをする。


故郷の産湯のあの独特のイオウの匂いのお湯に入るとなんともいえない安堵感に包まれるのだ。


身体の芯から温まり、旅の疲れを癒してくれる。ご先祖様、帰ってきましたよ〜、という気分になるのだ。


越後の奇祭「婿投げ」「墨塗り」はテレビでご覧になった方もいらっしゃるかもしれない。


その松之山という地名は2005年平成の大合併により十日町市に併合され、町名が消滅してしまった。淋しい限りだ。


その後6歳で神奈川県小田原に移り住み16年、今は横浜市金沢区に住んで20年になるが私の原点はずっと新潟松之山である。

誰かが言った。「雪国の人は、決意して上京する」。12年前に亡くなった父もそうだった。


母と小さい子ども三人と病弱な祖母の6人家族。冬になると東京へ出稼ぎに行き、約半年間は離れ離れの生活。


毎日母が、雪を掘る。「雪かき」「雪降ろし」ではない「雪掘り」なのだ。一日に最大1.2メートル降る松之山の雪。雪は白い魔物なのだ。

その松之山の先人といえばこの人だ。


「奇跡のラーメン屋」と呼ばれる東京都杉並区の「永福町・大勝軒の創業者「草村賢治」さんだ。



昭和30年26歳の時に創業。今年で創業59年。23坪・23席で、商品は「中華麺」と「チャーシュー麺」のみ。


中華麺が、1,050円という値段、店内売りで1日60万円、お土産ラーメンで1日40万円、年商3億円、店売り680杯、


たった一軒の個人経営の店でこの数字は驚異的だ。


もちろん、その味、ボリューム、接客、清潔感、売上トータルにおいて日本一といっても過言ではない。


「日本一美味しいといわれるラーメン屋になる」と決意して上京した草村さんは、3つの誓いを立てた。


まず禁酒。酒は付き合いが多くなって店がおろそかになるし、体を壊す原因にもなる。


次に禁煙。煙草は味覚を損ない味作りの邪魔になる。第三に禁車。車は事故を起こす危険がある。その時は店を休み、お客様にも迷惑をかけることになる。


それから、店を出すときに心に決めたことのひとつが、「出入り商人を大事にする。そしてその商人一番の得意先になる」ということ。


仕入れてやるんだとか、商品を扱ってやるんだといった傲慢な態度で、出入り業者に無理な要求をしてはダメ。


日本一のラーメン屋を目指すのなら、人と同じことやっていたのではダメ。70歳までは毎日一日5時間睡眠、


今でも昼寝をしないで、一日17時間働いていて、若い人に負けないくらい頑張っている。


ずっと変わらない味を保っているのではない。「味変え」と言って、常に味改良を重ねている。


タレとスープだけでもこれまで200回以上やっている。その理由は、初めて食べて美味しいと感動した味も何回も食べていると飽きてきて感動しなくなるので、


常に感動していただくためにも常に一歩先を行く味を提供することが必要なのだという。


材料の品質や種類、量、ブレンドの方法など1年に5,6回の割合で改良を重ね、お店が味をよくする努力を怠ったら、その時点で負け。常にお客様の舌との競争なのだ。


草村さんはいう。「使用している材料は他のお店の5倍から10倍は使っています。煮干し26キロ(10種類)、鰹節・鯖節52キロ、豚骨120キロ、玉ねぎ20キロ、じゃがいも25キロなどなどが一日に使う量です。たくさんの材料を使えばその分、味のバランスをとるのがたいへん難しくなります。それだけにスープづくりは毎日真剣勝負です」


その他、行列をつくるお客様のために日傘と雨傘を600本用意していること、器やコップ、ステンレス製のお皿へのこだわり、徹底した掃除、二度洗いする食器、水が少なくなるとスッと注ぎに来てくれるきめ細やかな対応、地元への貢献など。「ここまでやるか!」という見えないところでのこだわりが素晴らしい。


美味しいラーメンを食べながら、東京にいながら故郷を思い出し、大先輩の生き様に背筋が伸びるのだ。


(参考資料)

「永福町大勝軒草村賢治 奇跡のラーメン店は、どのように誕生したか―23坪・23席で日商100万円。初任給手取り60万円」草村賢治(旭屋出版)