「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「仏教・神道・儒教集中講座」(井沢元彦)

ここのところ、集中して呼んでいる井沢元彦氏の歴史物。分かりやすくて実にオモシロイ!(・ω<)


今回は東洋の三大宗教の集中講座。「世界の宗教では、神に帰依するのが当たり前にもかかわらず、日本は日本人に都合が良いように神を作り変えてきた。宗教比較により、そんな日本人の特殊性の原因、日本が中国・韓国に嫌われる理由を明らかにする、大人気宗教講座の第二弾」そのエッセンスを紹介しよう。



【仏教集中講座】


・我々は今「仏教」といいう言葉を使っています。でも、「仏教」という言葉を日本人が使うようになったのは、実は明治時代以降で、それ以前は「仏法」と言っていました。仏の教えこそが真理であり、「法(人間が守るべき道)」であるという考えです。


・多くの日本人は、輪廻転生は仏教の考え方だと思っていますが、実は仏教が生まれる前のインドにすでにあった考え方なのです。おそらく、お釈迦さまの頭のなかに、こうした思想があったのでしょう。仏教ではそれを踏襲した形になっています。後に仏教では「六道」という形に整理します。輪廻転生とは、人間は永遠に死なない、不滅の存在だということなのです。これは大変面白い設定です。


・悟りに達したとき、お釈迦様は、自分の悟りをほかの人に伝えるのは無理だろうと考え、すぐに涅槃に入ろうとしたという伝説があります。彼が達した境地というのはあまりにも難解で、そこに到達するのが難しく、そうした境地を人に説くのは無理だろうと思ったというのです。



神道集中講座】


神道というのは、「日本古来の神様を、日本人のやり方で祭っていく宗教」だと私は考えています。


日本人は、基本的に分析的なものを嫌います。自分たちの宗教はこういうものだと把握しなければならないとも思わないし、把握するためには分析しなければならないとも思いません。それはもうあるがままでいいじゃないか、と考えます。この「あるがまま」というのは、神道からきている考え方です。


神道の神は、穢れを極端に嫌います。穢れというのは、単なる汚れではありません。簡単に定義すると、穢れというのは「諸悪の根源であり、精神的な汚れでもある」ということになります。


穢れの中で、最も穢れたものが「死」です。死というのは、太陽の光を侵す日食のように、人間の生命の輝きを侵すものという発想があります。だからこそ、日本人は穢れを極端に嫌うようになったのではないでしょうか。


儒教集中講座】



儒教には、どんな場合でも子孫を絶やしてはいけない、という思想があるということです。なぜかというと、子孫が絶えると、先祖のお祭りをする後継者がいなくなるからです。


・まず個人が徳をもって身を修める。次にそのことを拡大し、個人が所属する家庭を整える。家庭が整えば、その家庭の集合体である国が治まり、国が治まれば、国の集合体である天下が平たくおさまる、ということです。これが儒教の一大特徴です。中でも一番大切なのは、王者が徳を修めることです。中国の理想の王というのは、徳の高い人なのです。


儒教では、百円のものを百三十円で売るのは悪なのです。いくらであれ、儲けを取ったらもう悪なのです。儒教ではそういう考え方しかできないのです。


「小説」という言葉は差別語です。儒教では、徳を納めている立派な人間を「君子」と言いますが、「君子」に対するものとして「小人」という言葉があります。「小説」という言葉が、実は「小人の言説」という意味だからです。


うーん…これは日本人なら知っておかなければいけないなあ…。オススメです。(・ω<)