「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「逆説の日本史20 幕末年代史編3西郷隆盛と薩英戦争の謎」(井沢元彦)

とうとうきましたよ!「逆説の日本史」シリーズの最新刊!(・ω<)
幕末の雄藩、薩摩と長州。のちに明治維新の原動力となった両藩がまったく異なる道を歩んでいた1862年から64年までの激動の3年間。そのエッセンスを紹介しよう。


・私は幕末のあらゆる志士及び政治家の中で一番優れていたのは勝海舟と考えている。その理由は、これからという時に暗殺されてしまった島津斉彬を除けば、はじめからずっと「日本」というものを大前提に考えていて、最初から最後までブレていないことだ。


黒船に対して日本刀を振りかざしても勝てはしない。大砲でも小銃でも欧米列強のものは日本のものより「260年(鎖国の期間)分」進歩しており、比較にならないほど強力だ。だから現実主義者で、アメリカをその目で見てきた勝は「開国しかない」と思い定め、それを龍馬に伝えた。それはまったくの事実だから龍馬も納得し勝の弟子となった。ところが、長州はあくまで攘夷をやるという。そんなことは到底不可能だろいうことはわからなかったのか?彼等は本気で、「攘夷ができる」と考えていたらしいのだ。


・第一に「西郷はなぜ、長州征伐支持者から薩長同盟推進派に変わったのか?」ということだ。これは180度の大転換だ。そして第二に「西郷に見放されるほどのどうしようもないエキセントリックな長州藩がなぜ大攘夷の方針に進むようになったのか?」ということである。誰が西郷の判断を変えさせたのか?誰が長州の方向性を変えたのか?


・龍馬は、「成程西郷といふ奴は、わからぬ奴だ。少し叩けば少し響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で利口なら大きな利口だらう(『氷川清話』)」と言ったという。勝は「評せられる人も評せられる人、評する人も評する人」と、共に大したヤツだという感想を述べている。


はやく、明治維新までの15年がどれだけ濃厚なだったのか!が伝わる。超オススメです。(・ω<)