「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「逆説の日本史15 近世改革編 官僚政治と吉宗の謎」(井沢元彦)

このシリーズもいよいよ15巻目に突入!(・∀・)実は名君・八代将軍吉宗の政治家としての最大の欠点は、生きた経済というものがまるでわかっていなかった!?。そして「賄賂」を行なったとして悪名高い田沼意次の再評価とは!?そのエッセンスを紹介しよう。


家康(初代)→秀忠(2代)→家光(3代)という相続において、諸外国と一番違う、日本市独自の特徴な何か?それはトップダウン型の独裁者、言葉を換えていえば西洋でも中国でもリーダーとして最もふさわしいとされるタイプであった家康が、自分の後継者にはそれとは正反対のタイプ、まさに親には絶対逆らわない従順な秀忠のようなタイプを選んだことだ。家康はおそらく知っていたのだろう、この国では西洋型のトップダウン式リーダー、たとえば織田信長のようなリーダーは決して長続きしないことを。


・一般的に、幕府の三大改革と呼ばれているものがある。享保の改革寛政の改革天保の改革だが、この「改革」という言葉に引きずられてはいけない。まず「改革」というのは明治以降の呼び方であって、江戸時代はこれを「治」と呼んでいた。すなわち「享保の治」である。つまり「治」というのは幕府側つまり儒教に染まった武士の、生きた経済を無視した幕政の「改革」であって、日本全体から見れば必ずしも評価できないものである、ということだ。これに対して、経済の実態をつかみ、海外貿易の自由化までも視野に入れた改革こそ、実は老中田沼意次の政治である。


・吉宗は、徳川将軍家といえども誤りを犯すことは有る」と他ならぬ目安箱の設置によって宣言したのである。21世紀における中国が未だに出来ないことを、18世紀の吉宗はすでにやっていのだ。この目安箱の設置までは、いくら正しいことでも庶民は訴えること自体が罪になった。将軍(あるいは老中)への直訴は死刑であった。それが、訴えること自体は罪に問われなくなったのだから、まさに画期的革命といえる。


江戸時代の政治史を理解するために最も重要なポイントを申し上げよう。それは「幕府は米本位制という誤った貨幣制度を採用していた」、ということなのだ。つまり「官」は「米本位制」なのに「民」は「銭あるいは金銀本位制」だったということなのだ。そして、この体制は農民にとってはまさに地獄なのである。なぜか?


・実は、日本歴史史上の大誤解の一つを正しておきたい。それは、九代将軍家重はバカ殿ではない、ということだ。


その他、「六代将軍家宣の新政編」「八代将軍吉宗の支配編」「将軍吉宗VS尾張宗春編」「田沼意次VS松平定信編」 やめられない止まらない、かっぱえびせん状態!おすすめです。(・∀・)