「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「逆説の日本史6 中世神風編 鎌倉仏教と元寇の謎」

今、相撲界ではモンゴル勢が多いよね。勢いがあるよねえ。そしてかつてモンゴルは世界最強軍団「元」といわれた時代があったよね。そして日本史で習ったけど、元寇ってあったよね。さて、モンゴルになぜ、日本は勝てたのか?何よりもなぜ日本に攻め込んできたのか?

毎日読んでいる井沢元彦氏のこのシリーズ!(・∀・) 本当にオモシロイ!そのエッセンスを紹介しよう。



釈迦の仏教とはどんなものか。簡単に言えば解脱を求めることだ。解脱とは輪廻から脱することで、悟りを開くことでもある。この世のすべての事物・現象は「空」なのである。空とは実体が無いということだが、むしろ「無実態」なものこそ物質的存在なのである。空は、たとえて言えば数字の「0」である。「0」自体は「無」だが、「0」という概念はある。また「0」あるゆえに「1」も「2」も存在する。実は「0」を発見したのは古代インド人なのである。もちろんこれは偶然ではない。釈迦の仏教は、解脱は目指しているが救済は目的ではない。これは大変なことである。ほとんどの宗教は「救済」を目的としている。そして、日本人が今、「仏教」と呼んでいるものの実質は、釈迦の仏教ではなく大乗仏教なのである。釈迦の始めた仏教(原始仏教)ではない


「僧侶は結婚してはならない」という戒律を守っていないのは、仏教世界では実は日本の僧侶だけなのである。これは浄土真宗の開祖である親鸞が仏教史上始めて行ったことだ。親鸞は仏教2000年の伝統を破って大っぴらに妻をめとり子を成した。つまり平たく言えば、今でも浄土真宗以外のすべての宗派では妻子を持っていはいけないはずなのである。すべての宗派の僧侶が結婚できるようになったのは、実は明治以後のことなのである。もっとも私は、戒律を守っていない僧侶は価値がない、などと主張するつもりは毛頭ない。それが、「日本」だということを理解してもらいたいのである。釈迦以來2000年の伝統的戒律がいつの間にか、さしたる抵抗もなく、皆の「話し合い(まさに和の体制)」で変えられてしまった。では、海の向こうから移入された仏教が、なぜここまで変容したのだろうか?


最澄の業績を、現代の大学に見立てると、まず比叡山に仏教総合大学を創立し、法華学部、戒律学部、禅学部、密教学部の四学部を設けた、と考えればいいだろう。そして、日蓮親鸞道元といった鎌倉新仏教の担い手は、すべてこの「大学」で基礎を学んだのである。日蓮は法華学部、道元は禅学部、そして親鸞は戒律学部の出身である。ただし、この大学は創立当初から密教学部は弱点だった。創立者最澄が唐で密教を完全な形で学ぶ時間がなかったからである。密教はライバル空海によって完全な形で陽音に招来された。


・日本人はほとんど、ウィスキーをストレートで飲まない。水で割って飲む。水を足せば足すほど、ウィスキーの純度は落ちるが多くの人が飲めるようになる。限りなく水に近くなればなるほど、女性も子どもも飲めるようになる。宗教とは、どうもこういうものらしい


実は、日本が世界最強の元に勝てた最大の原因は、鎌倉武士の奮戦でも「神風」でもない。大陸と日本の間に海が存在した、元軍の主体がモンゴル騎兵ではなく「多国籍の歩兵」だったこと、鎌倉武士が奮戦してよく防いだこと、が人為的な原因であって、これに「神風」という偶然の要素が重なったのである。極めて大ざっぱに言えば、日本とは「神風」というビギナーズ・ラックで勝ち、「大東亜戦争」という「大バクチ」で何もかも失った国である。


鎌倉幕府とは、あたらめて定義すれば、それまで日本の生産と軍事の主役つまり日本を実質的に支えていながら、政治への参画を一切許されなかった武士という階級が、旧支配層である朝廷側(天皇・高級公家)から政治権力を奪い独立した政府のことを指す。


「鎌倉以前の仏教編」「浄土門の聖者たち編」「道元日蓮編」「元寇と日本人編」「後醍醐天皇の野望篇」「後醍醐天皇の新政編」など。オモシロイ!オススメです。(・∀・)