「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか」(会田誠)

とてもインパクトのあるタイトルが気になって読んでみました。(・∀・)新潟県生まれのアーチスト・会田誠氏。

「天才の頭の中はどうなっている! ? アートって何? アートの最前線とは? 読みはじめたら止まらない名エッセイ集」。そのタイトルの文章は、「そーそー!そのとおり!」と頷く男性も多いのではないだろうか?そのエッセンスを紹介しよう。



・僕の専門分野であるところの、美についてー。美といえば、とりもなおさず女性の胸である。もっと限定していえば、大きからぬ胸、すなわちペチャパイである。最近は微乳という言葉のほうが一般的のようだ。冷静な判断力と女性美へのあくなき探究心をもった健全な社会では、女性の胸は大きいよりも小さい方が美しいとされる傾向にあるのではないだろうか。もちろん僕のペチャパイ愛好には、僕個人の特殊事情が多く含まれていることは認めよう。


乳房はただの風船やボールのような単純な球体ではない。奥にある胸筋や肋骨の形に影響を受、そして全面にある乳首から母乳を出す機能・目的に導かれて自然と形成され、また重力にも抗い続けている、複雑にして精妙なフォルムなのである。そのフォルムの要になるのが、乳首の位置なのだ。


乳房とは「無常」であるー。その決定的な契機とは、妻の妊娠と出産と授乳である。僕のように乳房に厳密な理想を追う者でなくとも、諸行無常を観じずにはおれないはずなのである。乳房の無常性はそれとなく分かっていはいた。たぶん整理の周期や性欲の高低で、乳房の形やボリュームや柔らかさは、多かれ少なかれ日々変動している。乳房とは、同じく生殖に関わる器官である男性の陰茎を特徴付ける海綿体に似た、ホルモンの影響を直接受けるため常に不安定な、人体の「スポンジ的パーツ」なのだろう。人体の中で一番、その形や大きさや柔らかさに拘っても仕様がない、可変性の高い部分なのだ。


よりによってどうしてそんなところを愛してしまったのか。なかんずく少女の膨らみかけた乳房には、ただ単に性欲を喚起するような獣性を超えた、神々しいばかりの美を、動物ならぬ人間にはそこに認めるはずなのである。それをロリコンの一言で括って排除する者は、人間の中の獣性と共に、聖性をも吐き捨てようとしているのだ。なぜ乳房は僕にとって頑迷にも、美という概念そのものの極点であり続けるのか。


文化などという腹の足しにもならないものを持ち、視神経と指先に最も繊細な感覚が集中してしまった変わった生物である人類の、その雄であるところの僕としては、以上のことをすべて引っくるめ、こう叫ばずにはおれない。美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか!


ほとんどの頁に著者本人の書き込み、落書きが入っている前代未聞のエッセイ集。オススメです。(・∀・)


会田誠 『美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか』 特設サイト
http://webmagazine.gentosha.co.jp/aidamakoto/utsukushisugiru.html