「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『南海ホークスがあったころ 野球ファンとパ・リーグの文化史

大の野球ファンの私。今はなくなった球団へのノスタルジーがある。(^<^)夢中になった阪急ブレーブス近鉄バファローズ、東映フライヤーズ、そして野村克也監督がプレイングマネージャーだったと南海ホークスだ。 

この本は、南海球団の創設、歓喜御堂筋パレード、低迷の日々、など……南海ホークスの栄光と挫折の軌跡を追いつつ、球場という空間のあり様や応援という行動などファンの視点から描く画期的な日本戦後史。そのツボとコツを紹介しよう。


・プロのリーグが結成された時代には地域社会と強いつながりをもっていた

鉄道会社と新聞社がなぜ本格的に参入したのか?

・当時の野球の主役だった大学野球都市対抗野球

・野球人気と都市開発

・野球をプロ・スポーツの興業というかたちに仕上げたのは、読売新聞社を中心とする企業群である。東京の読売新聞は、大阪系の新聞が参入して

激化する競争の中で営業不振にあえいでいた。この事態を打開するために戦略が大衆化路線であり、その具体的なあらわれのひとつがスポーツ・イベントとのタイアップである。野球の人気を利用して、読者を獲得する。この経営方針のもとに、野球の試合が企画され、大々的に宣伝された。

新聞も鉄道も、ともに明治のニュー・メディアであった。そのいずれもが舶来の遊びである野球をとりこもうとした。


ホークス(鷹)という名称は、南海電鉄の社章が「速さ」を表す「羽の生えた車輪」であったことに因み、鳥から選択された。


・南海というチームが最も輝いていた時代、それは鶴岡監督のもとでリーグ優勝を重ね、日本選手権の勝利を勝ち取った1950年代から60年代にかけてである。


・メディアの発達は、プロ野球のありかたを大きく変えた。「全国区」のチームと、ローカルなチームに両極化させたといってもよい。


・飯田・岡本・陰山・木塚らの「百万ドル内野陣」、映画化までされ話題となった小説「あなた買います」のモデル・穴吹、「戦前期のプロ野球と都市開発」「都心の故郷 大阪スタヂアム」「ビールかけの元祖は南海!?」「栄光の日々 御堂筋パレード」「応援という生き方 ファンという生き方」「野村監督のシンキングベースボールと野村解任」「パ・リーグ哀歌」「閑古鳥の巣」「二都物語 その後のホークス」…などなど野球ファンなら一読をオススメする!(^<^)