「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『プロ野球 強すぎるチーム弱すぎるチーム』(小野俊哉)

プロ野球 強すぎる 弱すぎるチーム (PHP新書)

プロ野球 強すぎる 弱すぎるチーム (PHP新書)

プロ野球ジャイアンがぶっちぎりの一位で、中畑ベイスターズがダントツの最下位だよね…。(´Д`)

さて、この本。過去、強かったチームと弱かったチームをを分析し、「なぜあの伝説のチームは強かったのか?天下を取り、野球史に名を残した優勝チームにスポットを当て、その強さに迫る」そして「逆にどうしてここまで弱いのかというチームが存在したのか?その敗北の本質は?」中でも史上最弱の、そして悲劇の球団の話を取り上げよう。


【高橋(トンボ)ユニオンズ】


かつて1950年代に、高橋球団というクラブチームのような名前の球団がパ・リーグに存在していました。1950年にセ・パの二リーグが分立し、パ・リーグは7球団でスタートしました。偶数球団構想のため、減らすよりも増やす方向で新球団を募集、それがきっかけで生まれた球団でした。オーナーは財界人で閣僚経験者の高橋龍太郎パ・リーグの7球団から中堅選手を5人ほど出し合って、新球団とすること」は決まっていましたが、いい選手を他球団が出すはずがありません。峠を越したロートル選手と、経験の浅い選手の寄せ集めでスタートするしかなかったチームでした。



高橋(トンボ)ユニオンズは、3年の短命で終わり、球団は消滅してしまいます。2年目のトンボは、42勝98敗1分、勝率ジャスト3割。当時のパ・リーグ規定の、勝率が.350を割ってしまったチームへの罰金500万円を支払う羽目に陥ります。3年目は東京六大学のスター、佐々木信也を獲得しますが、2年連続の最下位。消滅はやむを得なかったでしょう。経営が厳しく、ほとんど観客が集まらなかったためです。まさに、パ・リーグの悲哀です。佐々木信也によると「ある試合、あまりに観客が少ないので、セカンドの守備位置へ走りながら数えてみたら32人だった」。佐々木はプロ入団初日のキャンプの練習を終えただけで、「間違いなくセカンドのレギュラーは取れると思った」すなわち、高橋ユニオンズは、東京六大学よりレベルが下だったことを示唆しています。


「選手の練習量は東京六大学より相当少なかった。夜の素振りをする者さえ、ついに一人も現れなかった」多くの選手は夜になると飲みに出かけていたそうです。ですから、激しい闘争心をもって絶対に上を、という気持ちをチーム全体が共有することはなかったそうです。


チームの解散シーンが印象的です。57年3月のある日。球団社長が突然グラウンドに現れ、皆を集めると「きょうで解散することになりました。これから行き先をいう」と選手の振り分け先をさっさと述べて、終わり。あっけに取られるような終焉だったと聞きます。全員が移籍し、高橋は消滅。大映スターズがもっとも多く30人を引き受けました。その大映スターズ毎日オリオンズとの対等合併で、大毎オリオンズという名前になりパ・リーグは6球団制へ移行することになります。


その他、沢村栄治、実は通算120勝?」、「100勝に遠く及ばないのに「沢村賞」が後年に制定されるほどの功績はどこにあったのか?」「水原巨人と三原西鉄」、「V9巨人」、「鶴岡南海」、「広島の初優勝」、「上田阪急」、「森西武」、「野村ヤクルト」、「横浜ベイスターズはどうしてこんなに弱いのか」「史上唯一の100敗チーム」など、野球ファン必読!オススメです!(^。^)