この本、「日本初の特撮ヒロイン」桜井浩子、初の自伝なのだ。
貧しかった少女はいかにしてヒロインになったのか、そのおいたちから第二次大戦終了後の復興期から高度経済成長期の時代背景、円谷プロの映像制作スタッフや出演者との出会い、恋愛…。一気に読んでしまった。そのエッセンスを紹介しよう。
・なにより、彼らは未来を向いていた。まだ見ぬ世界を信じて頑張る“熱情”のようなものをヒロコは強く感じていた。「テレビ史上初の空想科学特撮作品は、俺たちが創ってやる!」その意気込みは、自然とヒロコにも伝わった。『ウルトラQ』の撮影が半ばくらい進行したころには、彼らの“熱情”をストレートに受け止めることができるようになった。〈この暴れん坊集団の男の子たちは、悪くない!〉
・円谷一さんは、父である英二監督にこう語っていた。「これからは、家族が気楽に家で見られるテレビの時代だ!わざわざ劇場に足を運び、お金を払って映画を見る、そんな時代は終わる!」熱っぽく語る息子にタジタジとなり、特撮の神様の表情は冴えなかったらしい。一さんの未来へ向かう言葉は、現場の過酷な状況を乗り越えて、新しい世界を創っていこうというエネルギーに満ちていた。
・『ウルトラマン』の放送は1966年(昭和41年)七月十七日に始まった。ヒーロー中心の特撮ドラマは爆発的にヒットした。学校では子供たちが『ウルトラマン』ごっこをしたり、”シュワッチ”と言ってスペシウム光線を出すポーズをとったりしてウルトラマンは瞬く間にお茶の間の人気をさらった。怪獣たちはもちろんのこと、ウルトラマンも科学特捜隊もスパイダーショットも有名になった。一人だけの女性隊員フジアキコも人気者になった。『ウルトラQ』の可愛い由利ちゃんから『ウルトラマン』の強い大人の女性へとヒロコも変身し、女優として少しは認められるようになった。
・ヒロコは思った。〈小さな小さな努力が積み重なって、大きく羽ばたいていくんだな……それが夢を実現させていくことになるのだな……〉スタッフも俳優もそれぞれが百万馬力を出した結果が、『ウルトラマン』の成功に繋がった。その現場を、ヒロコはしっかりと見届けた。そして今、しみじみと思う。“男たちの夢”についてきてよかった!!
ウルトラマンってこんな風に生み出されたのか!と感慨深くなってしまった。あの時代ってよかったよね。オススメです!(^J^)