「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『なぜ日本人は学ばなくなったのか』(齋藤孝)

なぜ日本人は学ばなくなったのか (講談社現代新書 1943)

なぜ日本人は学ばなくなったのか (講談社現代新書 1943)

テレビ等でも大活躍の私の母校・明治大学教授の齋藤孝センセイ。このブログでも何冊も紹介しました。


BOOK〜『ストレス知らずの対話術』(齋藤孝
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20100922

BOOK〜ビックリするくらい人間関係がうまくいく本!…『偏愛マップ
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20100816


この本はいいよ!正に、ウチ(SA)が伝えたいメッセージを代弁してくれているようだ。そのエッセンスを紹介しよう。


・最近、日本では確実に「バカ化」が進行しつつある。国際的な学力比較調査でも、全科目とも調査のたびに順位を落としている。かつて「日本人」と「勤勉」はセットであった。しかし、現在「学び嫌いの日本人」である。「学ぼうとせずに、ひたすら受け身の快楽にふけるあり方」のことだ。「学ぶ意欲」それ自体が、内発的に起きてこない。ゲームや友人同士のメールに湯水のように時間を注ぎ込んでいる。


・当たり前の話ですが、人は勉強しなければバカになります。では、なぜ学ばなくなったのか。それに対する私の端的な回答は、「リスペクト」という心の習慣を失ったからだ、ということです。かつての日本人には、何かに敬意を感じ、あこがれ、自分自身をそこに重ね合わせて行くという心の習慣が、ごく自然に身についていました。それを象徴するのが、仏教であり、論語であり、武道でした。学びや教養を一段高いものとみなす風潮が、社会に充満していたのです。


・ところが、ある時期を境にして、日本には「バカでもいいじゃないか」という空気が漂い始めました。ある種の「開き直り社会」ないしは「バカ肯定社会」へと、世の中が一気に変質してしまったのです。そこには、もはや「あこがれ」という心の習慣がありません。自分という核を持たないまま、ひたすら水平的に「何かいいものはないか」「おもしろいものはないか」と探し回っているだけ。最近の世の中はこれを「自分探し」と称していますが、こういう風潮が始まったのは、1980年頃からです。


・今は「情報はタダ」という認識が一般化しています。どれだけタダで出して知名度を高めるか、あるいは好感度を持たれるかといったことが、情報発信側の勝負どころになっている。それを助長しているのが、検索機能によってタダの情報を自由にセレクトできるインターネットです。言い方を換えるなら、情報の発信者ではなく、ネット利用者のほうが立場的に強者になっているわけです。


リスペクトとは心の習慣です。何かに対して「これはすごい」「頭を垂れて学びたい」とう思いを持てないとすれば、世の中のあらゆるものが平板な情報でしかないことになります。


・一晩中語り合うことは、私が学生だったころには珍しくない風景でした。誰かの下宿で夜通し酒を飲む。それを飽きずに何回も繰り返す。あるいは同じ下宿に住む者同士、毎晩のように一つの部屋に集まって語り続ける。そういう交流がよくありました。私が勤める明治大学でも、最近は飲み会を企画してもなかなか人が集まりません。明治はよかれ悪しかれ飲んで語りあう、あるいは必要以上に飲むことが伝統的に継承されてきた大学です。今の学生にとって飲み会は、快適なプライベーは時間ではなくなったということです。人間関係上の体温の低さを感じざるをえません。


昨今の学生は、一対一のコミュニケーション能力についても未熟な感じがします。たとえば知らない人との世間話は、明らかに苦手になってきています。他人とのゆるやかな関係を作ったり、その場を雰囲気よく過ごす術を知りません。


福沢諭吉は、若い頃、薬を飲むような気持ちで勉強したそうです。それが何の役にたつか、いくら儲かるかといった目的は関係なく、苦ければ苦いほど効く、難しければ難しいほど面白いといった気概だったそうです。青春のエネルギーというものをあえて禁欲パワーによって押し込め、そのエネルギーで闇雲に勉強をしていく。学ぶことが自分のエネルギーのすべてを賭けた修行でありしかも最大の快楽だったと確信をもって言える。福沢が生きたのは、そういう時代だったのです。


・ここ数年、入社三年以内に会社を辞める若者は、中卒者の約70%、高卒者の約50%、大卒者の約35%に達しています。いわゆる七五三現象が継続しているわけです。天職を重ねるごとに条件が悪くなるケースの方が、割合としては多いのが実情です。いずれにせよメンタルの強さが要求されます。


日本人に脈々と受け継がれてきた「学ぶ心の伝統」こそが、日本人の最大の財産だ。そして、「学ぶことを生きがいとしている日本人」をアイデンティティの柱の一つとすることで、内発的なパワーが生まれてくる。学ぶ心は、ひとりでに見につくものではない。学ぶ先人の姿に「あこがれ」を感じて、自分も学びたくなる。学びへの「あこがれにあこがれる」こうした「あこがれの連鎖」が、世代から世代へと受け継がれる。あこがれを連鎖する社会は、幸福な社会だ。


・子どもたちの「あこがれ」を誘発する「あこがれの矢」になってほしい。「あこがれ」という衣装をまとってほしい。心に「学ぶベクトル」を感じ、張りのある声で、「あこがれ」を伝える。そして、「ものごとには、深さと高さがある」ことを、あらゆる機会に伝え、共に実感してほしい。

ウチ(SA)のMCPのレッスン6「魅力のテクノロジー「妬み → 憧れ」だよね。まさに。カッコイイ大人に、子どもに憧れる大人にならなきゃね。(^^♪