「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『日本全国「お土産・名産品」おもしろ事典』

日本全国「お土産(みやげ)・名産品」おもしろ事典 (PHP文庫)

日本全国「お土産(みやげ)・名産品」おもしろ事典 (PHP文庫)

全国に出張・旅行に行っているが、47都道府県のウチ、かなり制覇した。あといっていない県は、宮崎、佐賀、高知、徳島、和歌山だけになった。そして出張の楽しみは、全国の名物のお土産だよね。


もともと、おみやげ=土産と書くようになったのは、その土地の名産品をさしているのだとか。
この本は、そんな全国各地の名産品を取り上げ、製法、商品名の由来など、名産品の名産品たる意外なエピソードを紹介した、いわば「全国有名お土産ガイド」だ。ウンチクや雑学の仕入れにもってこいの本。読んでいるだけで旅行に行った気分になるオトクな本。そのエッセンスを紹介しよう。


【「もみじ饅頭」を全国的に有名にしたのは漫才師・島田洋七だった!】


明治40年頃、広島県宮島で、紅葉が美しい紅葉谷公園の岩惣という旅館の茶店に、伊藤博文が散歩の途中が立ち寄り、お茶を所望した。そのとき、お茶を運んできた茶店の娘の
かわいい手を見て、「もみじのようあ可愛い手、食べてしまいたいような手だね」といったという。それを女将がそばで聞いていてヒントを得て、「もみじの葉」を模した茶菓子を出入りの菓子屋に依頼、製造させたがの、もみじ饅頭の始まりとされている。そして昭和55年ごろB&B島田洋七の「もじみ饅頭〜!」のギャグが一世を風靡し、一気に全国区になったのである。
異常っともいえるブームの頃、徹夜で作っても次の日の午前中には売り切れてしまい、生産が追いつかなかったという。十数社しかなかったもみじ饅頭メーカーも、一気に200社以上みまでふくれあがった。いまでも人気の広島土産である。


【「東京ばな奈」の「奈」が漢字なのは女の子をイメージしているから】


親しみを持って覚えてもらうために、商品名を「東京のおしゃれな女の子」がイメージできるものにしようということになったのだ。そこから「奈々」や「真理奈」など女の子らしい響きを持つ名前が候補にあがり、最終的に「ばな奈」と名付けられ、パッケージのデザインもバナナのイラストに青いリボンをつけて、女の子らしさを演出した。年間5900万個を売る人気商品になったのはそのネーミングが人気に一役買っているのは間違いないだろう。


【「白い恋人」は地元北海道よりも先に東京で有名になったってホント?】


空から降ってきた雪を見て白い恋人たちが降って来たぞ」と当時の社長がいったことから、「白い恋人」という商品名に決まったのだという。じつは地元北海道で有名になるよりも先に東京で評判になった。その理由は、発売の翌年から全日空の旅客機の機内食に採用されたためだ。札幌と羽田を結ぶ線では、当時機内食サービスとしてお茶菓子を出していた。コンパクトで食べやすい白い恋人は、それにピッタリだったというわけだ。問い合わせがくるようになったが、当時から「北海道のものは北海道に来て買ってもらう」方針で、道内限定販売だったため、東京で手に入れることはできなかったので、「北海道に行ったら白い恋人を買ってきてくれ」と頼む人が増えて、先に東京で知名度がアップしたのである。


【「うなぎパイ」のキャッチフレーズ 「夜のお菓子」の真の意味は一家団欒】

【増えすぎたみかんの需要調整のために生まれたのが「ポンジュース」】

【「鳩サブレー」の形にモデルがいた!原形は鶴岡八幡宮にいる鳩】

【「長崎カステラ」はキリスト教の布教活動に使われていたことがある!】

大涌谷の数ある温泉の中でも「黒タマゴ」ができるのは一か所だけという謎】

【一度逃すと十九年後まで手に入らない超レアものがある「赤福」の「伊勢だより」】


どう?どっか旅したくなっちゃったね。読むだけで「心の旅」がはじまる。オススメ!(^u^)