「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜『泣き虫しょったんの奇跡』(瀬川晶司)

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この本は泣いた。泣けた…。(T_T) 26歳で一度死んだ男が、35歳で夢をかなえたのだ!


2005年、将棋界で異例の出来事が起きた。通常、26歳までに奨励会で四段に昇段しなければ、永遠にプロ棋士になれないのだが、前代未聞の日本将棋連盟への嘆願書を提出し、編入試験で見事、3勝2敗と勝ち越し、35歳にしてプロになった瀬川晶司四段だ。以前、ここでも紹介したよね。


BOOK〜「先手」にはない夢を実現する力…『後手という生き方』
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20070424


あきらめなければ、夢は必ずかなう!中学選抜選手権で優勝した男は、いかにして絶望から這い上がり、将棋を再開したか。将棋界の歴史に残る奇跡を成し遂げるまでの成長と挫折と再生を、彼を支えた信じられないほどいい人たちとの交流をまじえて綴った感動の自叙伝!そのエッセンスを紹介しよう。



・将棋という激しいゲームは、負けた者に、人格まで否定されたようなショックを与える。だからプロ棋士は、どんなに痛い負けでもすぐいそれを忘れる技術を身につけている。そうしないと精神が持たないのだ。


・将棋のプロになるには日本将棋連盟棋士養成機関である「新進棋士奨励会いわゆる奨励会を勝ち抜き、四段にならなくてはならない。この大原則に逆らい、一介のアマチュアにすぎない僕を特別にプロにして欲しいという嘆願をしたのである。僕がこんな行動に出た理由、それは一にも二にも、将棋が好きだからだ。
好きな将棋で生きていきたかったからだ。つまり、僕のわがままだった。ただ一方で、それだけではない部分もあった。奨励会には26歳までに四段になれなかったものは強制的に退会させられ、二度とプロになるチャンスは与えられないという年齢制限がある。僕も三段まで登りながら、四段になれず、退会したのである。


・26歳で退会するまでの奨励会での苦闘は、決してみなさんに自慢できるものではない、というより後悔だらけの12年間だった。後悔の理由は、全力でぶつかれば夢をつかめるチャンスがありながら、それをしなかったことに尽きる、僕は、プロ棋士になるという夢から逃げてしまった、自分には将棋しかないことは、わかっていた。それでも将棋を指すことが苦しくなり、将棋から逃げ出したくなってしまう。それが奨励会というところなのだ。奨励会の中で、プロ棋士の夢をつかうことができるものは二割ほどである、では、ほかの大多数の敗者は、いったい何が足りなかったのだろうか。それは才能という言葉で片付けるしかないことなのだろうか。もう一度考えてみようと思う。


・26歳の誕生日までに四段になれなければ退会。この規定こそが、奨励会を題材にした数々のドラマを生んでいるのだ、もちろん、どんな世界でもプロになることは厳しい。だがほとんどの世界では、その意欲さえあれば、何歳になっても挑戦し続けることは可能である。しかし、こと将棋界においては、26歳までにプロになれなければ、どんなに才能や情熱があっても、もう二度とチャンスは与えられない。それまでの将棋だけにすべてを捧げてきた時間は、すべて無意味になる。


・僕は、三段リーグがそれまでの闘いとはまったく違うことを思い知らされた。勝負への執念が、けた違いなのだ。その戦い方を一言でいえば、「友だちを失う指し方」だった。たとえば優勢のときは冒険して価値に行くことはせず、気の遠くなるような回り道をして、より確実なチャンスを待つ。そして勝勢になってからも相手を斬りにはいかず、受けに回って戦意を喪失させる。そうした、相手に夢や希望のかけらも抱かせない指し方をそういうのである。考えてみれば無理もない。三段になったものはいな、すでに膨大な時間を将棋だけに捧げている。いまさら後戻りはできない。四段になれないことは、それまでの自分がゼロになることを意味する。挫折などというなまやさしいものではないのだ。


・十八歳で奨励会に入り21歳で四段になった兄弟子・小野敦生五段は、31歳でこの世を去った。天才たちに努力だけを武器に戦いを挑み、戦い半ばで逝った壮絶な生涯だった。


・四段への昇段が絶望的になった時、僕はこういったのだという。「もうだめだ。僕を殺してくれ」自分では、まったくそんな記憶がない。
僕はもう一生プロになれない。僕が谷川や羽生と名人位を争うことは、もう絶対にない。僕はゼロになった。小学五年生からこの歳になるまで将棋しかやってこなくて、将棋がなくなったんだから、ゼロだ。残りは一ミリもない。ゼロだ。ゼロ
そこまで理解した僕は自分の腕を斬り落とし、目をえぐり出し、頭を叩き潰したくなる衝動に駆られたこんなもの、もうあってもしょうがない。ないほうがいい。無意味で無能で、かっこだけ人間みたいなのがよけい腹立たしい、僕の体、僕の全部。僕は僕を消したかった。消えてなくなりたかった、青酸カリを飲むとこうなるのかと思うほど苦しかった


次に、とてつもない後悔が襲ってきた。なぜもっとがんばらなかったんだ。時間は、ありあまるほどあったのに。こんなことになるなら、もっとがんばればよかった。もっと詰め将棋を解いて、もっと棋譜を並べて……。

あまりにつらい後悔に耐えきれず、僕は矛先を変えた。
全部将棋のせいだ。将棋なんかやらなきゃ、こんな目にあわずにすんだんだ。ふつうに暮らしていけたんだ。どうして将棋なんか、将棋なんかやってしまったんだ…。生きていてもしかたがない。僕は車道に飛び込んで死ぬことにした。早くこの苦しみから逃れたかった。車めがけて飛び込もうとした瞬間に、父の、母の、兄たちの顔が浮かんだ。乗用車は走り去っていた。僕は下宿に帰った。そして、すぐに布団をかぶると、那木通に泣きつづけた。僕の26歳の誕生日。奨励会員だった僕が、死と同じくらい恐怖していた日が、訪れた。これで本当に僕は死んだ。そう思いながら僕はカレンダーをゴミ箱に捨てた。


「やりたいことをやれ。自分の好きな道を行け」ほかのことは何もいわなかった父が、息子たちに臨んでいたのはひとつだけだった。
それしかない、と僕は思った。僕はもう将棋のプロにはなれない。しかしこの先、どんな険しい道であれ、僕が好きだと思えることが見つかったら、今度こそ逃げずに、勇気を出して、その道を進もう。将棋で味わった後悔を、二度と繰り返してはならない。父に償いをするには、それしかない。


そして、彼を支えた人たちが彼を応援していく姿に思わず涙…。(T_T) いいなあ!将棋って。人っていいなあ。こんなに打ち込めるものに出会えたなんて幸せだよね。名著です。夢をあきらめるな!



瀬川昌司のシャララ日記
http://segawa-challenge.at.webry.info/


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