「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜知事の影響力とは?…『知事の世界』(東国原英夫)

ウチの近く(横浜市金沢区)にひとつだけで早咲きの桜がある。もしかしたら、咲いているかなあ?と思ってみたら、二つだけ咲いてました〜!(^o^)/春はもうすぐ!

知事の世界 (幻冬舎新書)

知事の世界 (幻冬舎新書)

閑話休題東京都知事選にワタミ会長の渡邉美樹氏が立候補したよね。明大の先輩だ。(^u^)そして、次に出馬が期待されているのが、前宮崎県知事の東国原英夫氏。この本は刺激を受けたなあ!


BOOK〜人間、死ぬまで勉強!…『芸人学生、知事になる』
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20100105


もう当たり前なってすっかり政治家の姿が板についているけど、東国原知事が語る。政治とは?知事の仕事とは?知事のもつ影響力とは何か?宮崎県を地方変革と日本再生の新しいモデルにした知事の全貌がわかる。 そのエッセンスを紹介しよう。


僕は宮崎県をこころから愛し、宮崎県が少しでもよくなるためならと、自分にできるかぎりのことをやってきたつもりだ。宮崎の人間は郷土愛が強いといわれる。ある意識調査では、自分が住んでいる場所が好きだと思っている人の割合は日本トップクラスらしい僕も郷土愛の強い宮崎県民の一人なのだが、実はその根底にコンプレックスもある。宮崎県と宮城県を間違えられ、屈辱的な思いをしたこともある。陸の孤島で働く場所も少ない。県民所得も少ない。新幹線や高速道路がない、都市銀行や全国チェーンの飲食店もない。数え上げたら切りがないほどコンプレックスの種がある。


・僕が離婚してまで政治家を志したのは、あと20年生きられるか30年生きられるかと考えたとき、どうしても「宮崎出身、いいねえ」と言われる宮崎県にしたかったのだ。残りの人生を、僕の全エネルギーをそこに傾けていいと思った。知事になろうと決意したとき、50歳はすぐ目の前だった。いまやらないと後悔の念にかられて残りの人生を生きていくことになると思った。宮崎と家族のどちらをとるか。この重大な選択を迫られたとき、自分がいま死んでも後悔しない生き方は何だろうかと考えた。そして選択したのが、宮崎だった。


・農作業中のおばあちゃんと握手したとき、爪のあいだに土が残る小さな手が印象的だった。そのとき本当に自分は「この人のために何ができるのか」と真剣に考えた。僕は急遽、農業政策の専門家に再度ヒアリングをお願いした。そうやって少しずつ少しずつ政策立案の材料を集めていった。


・裏金問題の時、知事として僕も減給を申し出た。11月は7割カットで月給が21万円まで下がった。僕が裏金をつくったわけではない、むしろ裏金問題を解決しようと働き掛けた側だ。それでも県庁のトップとして不祥事には責任がある。トップの座に就くというのはそういうことだ。前任者から引き継ぐのは権限や地位だけではない。過去に生まれた負の部分も一緒に引き継ぐのがトップであり、責任者である。一国の首相ともなれば、たとえ100年前のことでも非を認めれば他国に頭を下げる。「私が生まれる前のことだから知りません」は通用しない。それと同じことだ。


・県庁職員と働くようになって実感したのは想像した以上に彼らが勤勉で忠実ということだ。行政実務の大部分は、国から政令や省令で義務づけ、枠づけがなされている、あるいは地方自治法、地方公務員などさまざまな法律で縛られている。まず、そういう規則に対してきわめて忠実だ。この優秀な人たちを活かすも殺すも首長次第という感じがする。


行政や政治にとって最大の敵は無関心だ。一部には、県民が無関心なほうが都合がよいと考える人たちもいるが、政治、行政を変えていく原動力は、県民、国民の視線だと思う。県民や国民がチェックの目を光らせていれば、情報公開しなければいけない、透明性を高めないといけないという意識につながるだろう。


・就任当初の印象が強いせいか、僕は対立型の人間に見えるらしいが、自分は調整型あるいは調和型だと思っている。押すところは押す、引くところは引く。譲れないところは断固として譲らないが、譲れるところはあっさり譲る。そんなバランス感覚を心掛けて、できるだけ歩み寄るかたちでやってきた。


・知事の生活は、二日と同じことはない。雑誌のインタビューなどで、「平均的な一週間のスケジュールを教えてください」と言われることがあるが、平均的な一週間というものがないのだから返事に困ってしまう。


・365日態勢とはいえ、公務がまったく入らない日も年間30日くらいはある。だが、公務が休みの日は政務が必ず入っている、だから僕個人としては休みはない。政務とは、知事として県や県民のためにはたらく公務に対して、自分の政治活動を指していう。スケジュール管理等も、県庁には公務の秘書がいて、それとは別に僕個人が雇っている政務秘書がいる。東京のテレビ局に呼ばれて出演するような場合は、たいてい政務となる。


・県知事というのは、自分から何か進んでやりたいと考える人には実に窮屈なポジションだ。やりたくてもその事業に注ぎ込む予算がない。どこか別の予算を削って捻出していくしか方法はないのだ。逆にいえば、何もやりたくない人にはこれほど楽なポジションはない。(こんなことを書けば波紋を投げかけたり、批判を食らうかもしれないがあえて書いておきたい)日本はやはり、中央集権国家なのだと思う。


その他、「現実的な選択肢としての道州制は、なるほど!とよく分かった!都知事選楽しみだね。(^u^)