「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜ミスターの自伝!…『野球は人生そのものだ』(長嶋茂雄)

野球は人生そのものだ

野球は人生そのものだ

私の人生で最初のヒーローがジャイアンツの長嶋茂雄王貞治、いわゆるONだ。ここでも紹介したよね。(^u^)


BOOK〜王貞治長島茂雄…『ONにも青春時代があった』(長島編)
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20090102


日経新聞の連載で大きな反響を呼んだ初の自伝がついに単行本化! 戦後が生んだ不世出のスーパースターの人間力とは?そのエッセンスを紹介しよう。



・半世紀以上も、プロの勝負の世界に身を置いてきた。あの天覧試合から五十年となった。やることなすこと、24時間、生活のすべてが野球というものにつながっている。
食事をするのも人と会うのも、体を動かすこともすべてがそうだ。毎年、キャンプインする最初のミーティングで選手へ、「きょうから家庭を犠牲にして、野球に集中しよう。おれもそうする」と、チームに対するボランティア精神を持って貢献してくれとお願いしてきた。どんなに過酷な言葉か承知している。個人主義の時代に逆行した精神だろう。私は家に帰っても監督や選手、野球人としての「長嶋茂雄」をフィールドに置いてくることができず、家庭も子供も何もかも犠牲にしてジャイアンツというチームに捧げた。歴史と伝統を背負うチームの宿命として、球界の盟主であり続けるために。


・高校時代、庭にある樹齢三十年の柿の木の下でバットを振るのが日課だった。今でいうメンタルトレーニング。藤村富美男さんらスター選手の物まねを一通りおさらいしたあと、いよいよ私の独壇場の世界に入る。「バッターは四番、長嶋。悠々バッターボックスに入ります。構えました。第一球はカーブ。ボールです。第二球、長嶋、打ちました。ボールはぐんぐん伸びております。センターバックセンターバック。ホームラン、長嶋、みごとなホームランです」自己陶酔の実況アナウンスが夢を膨らませていた。おれは後楽園に行ってプロ野球になるんだ、そして親を幸せにしてやろうと自分に言い聞かせて一生懸命バットを振った。


・神宮の杜での戦いは、アマチュアの戦いだが、僕のメンタルな部分、心の状態はもうすでにプロ的だった。そのよしあしは別としてほかの人とは違っていた。プロとは表現力、観客に感動を抱かせる、それがプロたるものの使命であり、姿勢である。そんな風に考え、大学三年のときからプロに行ったら、こういうプレーをしていやると、自分の生き方も含めすでに固めていた。だいぶ前のことだが、立教大学の後輩たちにこんな話をした。「僕は大学の四年間、自分が何をしたら、周りの人が喜んでくれるのか。自分をどう表現したらいいか、そればかいを片時も忘れず考えていましたね」


阪神の故・村山実氏談。「長嶋さんと闘う時に、どっちがどれだけ炎となっているかの勝負なんです。相手の方が、熱いと感じたときは私がどんなにいい球を投げても打たれます。逆に私が炎となっているときは、いくら長嶋さんが、いいスイングをしても私が勝ちます。勝負は気で決まるといいますか、長嶋さんとの勝負はいつもそうしたお互いに炎となっていました」



・私の本質というのは、天才肌でもなんでもない、夜中の一時、二時に苦闘してバットを振っている。人がいなくなったところでは、自分との技への血みどろの格闘を独りで必死にやっていた。人前で練習するのが、なんだか嫌い一人でやるのが好きだった。練習しなかったらはじき出される。人前で見せれば力がつくわけじゃない。そういう隠れた部分はファンの皆さんに見せるべきじゃない。舞台裏は見せないのがプロとしての私の信条だ。プロとは夢を売る商売。だったらお客さんにいいものだけをお見せするべきだ


監督というのは選手と一緒に動けなくてはダメというのが僕の信念だ。選手とノックで対話するすることによって、そこに一体感とリズムが生まれてくるというのが基本的な考え方だ。


いいなあ…長嶋さん、最高!表紙のミスターの笑顔もステキ!ずっといつまでも長生きしてほしい、ヒーローでいてほしいなあ!おススメ!(^<^)


敬遠の抗議の意味でバットを持たずに打席に立つ長嶋