「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

MUSEUM〜小田原の偉人…『尊徳記念館』



小田原市 尊徳記念館と二宮尊徳生家
神奈川県小田原市栢山2,065-1(小田急栢山駅徒歩15分)
9:00〜17:00 年末年始を除き無休 観覧料 一般 200円

http://www.city.odawara.kanagawa.jp/public-i/e_f/sontoku/sontoku.html


私は新潟県十日町市(旧・東頸城郡松之山町)生まれ。小学校に上がる少し前に神奈川県小田原市に引っ越して、大学卒業まで過ごしたのだ。だから新潟が第一のふるさとで、第二のふるさとが小田原。♪〜ここは小田原〜日本の名所〜!♪(小田原小唄)


その小田原の偉人が、二宮尊徳(金次郎)先生。その生家のある栢山の桜井小学校は我が母校。もちろん校庭には薪を背負って本を読む二宮尊徳像があるのだ。(^。^)桜井小学校の校歌にも♪〜われらの手本 尊徳先生〜♪と歌われている。↓小田原駅にある像


小田原の小学生は皆、社会科見学でここを訪れると思うんだけど、。しかし、大人になって改めて二宮尊徳先生の偉大さを知り、数十年ぶりに行って参りました。
いや〜!!!良かったなあ!(^。^) パンフレットにはこう書かれている。


二宮尊徳(金次郎)は、江戸時代後期に報徳思想を唱えて、報徳仕法と呼ばれる農村復興政策を指導した農政家・思想家。1987年桜井村(小田原市栢山)の農家の長男として生まれ。少年時代に父母を亡くし、弟とも離散、伯父、万兵衛宅で暮らし、働きながら勉学に勤め多くの自然の法則や、人生観を学んだ。31歳の時、小田原藩主小久保忠真公より村民の模範者として表彰された。その後桜町領、利根川分水路、日光神領の復興に尽力し69歳の生涯を閉じた。尊徳の遺訓は弟子たちに依って受け継がれ、人々の心に生き続けている。


地元小田原ということでもなじみがあるのに、尊徳先生は、身長約六尺(182センチ)、体重二十五貫(94キロ)の大男だったとか!これは今の私の体格と同じ!!!他人とは思えないな〜!(^。^)



展示室には5つのアニメーションが流れ、その生涯とエピソードが分かるようになっている。


・子供の頃、大人に混じって作業をするが、力足らずなので、夜、わらじを作って村人に差し上げた


・両親の死後、叔父万兵衛の家に預けられると、寝る間も惜しんで読書をしたが、「百姓には学問はいらないし、行灯の油がもったいない」と叔父に指摘されると、荒地に菜種をまいて百倍にして実らせ勉学を続けた。


・あぜ道に捨てられている苗を拾い、荒地に植えて育て一俵の米を収穫した。


・ナスを食べたところ、夏前なのに秋茄子の味がしたことから冷夏となることを予測。村人に冷害に強いヒエを植えさせた。二宮の予言どおり冷夏で天保の大飢饉を乗り切り、餓死者を出さなかった。…などなど。


【積少為大】大は少を積んで大となる。小さいことを積み重ねることによって大が生じる。
【分度】天分を測度して、自己の実力を知り、それに応じて生活の限度を定めること。合理的な計画経済を意味している。 

【推譲】勤労して収益を増やし余剰を、将来の為、子孫のため、世の為に譲り合うこと。



…深いなあ!(>_<)尊徳先生のことはもっと勉強しよう!小田原にお越しの際はぜひ立ち寄ってね!(^_-)-☆


二宮尊徳 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%AE%AE%E5%B0%8A%E5%BE%B3

気軽に読みたい人のための二宮翁夜話 
http://homepage3.nifty.com/t-moro/ninomiyayawattl.htm