「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

BOOK〜とっておきの話!…『事物はじまりの物語』(吉村昭)

事物はじまりの物語 (ちくまプリマー新書)

事物はじまりの物語 (ちくまプリマー新書)


私は新潟県十日町市松之山(旧・東頸城郡松之山町)で生まれ、小学校に上がる時に神奈川県小田原市に引っ越したのだ。(^v^)自給自足の生活の田舎暮らしでお世辞にも豊かな家庭ではなかったため、そのときのいろんな「初めて」をハッキリ覚えているなあ。(・。・)


初めての給食、初めてのカラーテレビ、初めてのコロッケ、初めてのうなぎ、初めての焼肉、初めての恋……違うか〜!(^_^)(お笑いコンビ・ものいい風に)。


さて、この本は久しぶりに吉村昭氏の本。(^−^)事物を巡る歴史と回想のエッセイ集である。「解剖」「スキー」「石鹸」「洋食」「アイスクリーム」「傘」「国旗」「幼稚園」「マッチ」「電話」「蚊帳・蚊取り線香」「胃カメラ」「万年筆」の13の小品から成る本書。その一部を紹介しよう。


【解剖】


日本で初めて死体の解剖がおこなわれたのは、250年前の宝暦4年(1754年)、京都の天皇の侍医・山脇東洋という医学の大家。彼は、人体の内部がどのようになっているか知りたいという強い願いをいだき、京都の治安を司る所司代に解剖を申し出た。たまたま罪人が斬首刑に処せられ、門人たちはその死体の解剖を願いでたのが始まり。当時は医者が、解剖することは許されず、獄舎の雑役が身体を開き、東洋はそれを見学し、克明に記録した。
その後、これが前例となって解剖が行われるようになり、明和8年(1771年)には、杉田玄白前野良沢中川淳庵らが開かれた刑死人の内部を見、それが後に「解体新書」として出版された。本格的な解剖書が誕生したのである。


BOOK〜国家的偉業「解体新書」の光と影…『冬の鷹』(吉村昭
http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20070423


【石鹸】

明治2年(1869年)に横浜に住む堤磯右衛門という人が、西洋人から製法を教えられ、牛の脂肪と茄子の灰汁で石鹸の製造をこころみた。ついで彼は6年に洗濯用の石鹸をつくって一個10銭で販売し、さらに翌年には化粧用の石鹸の製造を始めた。これが日本で石鹸を製した最初である。しかし、品質は外国から輸入される石鹸には及ばなかった。
外国製品にひけをとらぬ石鹸を製造し販売したのは、岐阜の長瀬富郎であった。彼は工夫を重ねて高品質の石鹸の製造に成功。「顔を洗うこともできる高級石鹸」として、顔をもじって花王という商品名をつけ、一個12銭、桐箱に三個おさめて35銭で売り出した。


【国旗】

国旗である日の丸は、江戸時代の廻船にかかげられた幟(のぼり)、旗の船印からはじまっている。幕府の管理地で産した米が御城米(年貢米)として、江戸の幕府に船で運ばれた。一般の廻船と区別するために、白地に朱色の丸印を描いた船印がかかげられていた。
幕末になると、幕府は外国と対抗する必要から大船製造を許し、開国によって渡来する外国船が多く、それらの船と識別するため、日本船籍であることを示す必要から、日の丸の船印をかかげた。


いろんなものに歴史があるんだねえ!(^◇^)先人たちに感謝、モノが豊かなことに感謝だねえ!オススメよ。