一日一冊一感動!小野塚テルの『感動の仕入れ!』日記

タイトルは、『一日一冊一感動!小野塚テルの感動の仕入れ!』日記。 毎日の読書、映画、グルメ、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。(ときどき「酒場のギター弾き」「B級グルメ」も紹介します)

「居酒屋の誕生 江戸の呑みだおれ文化」(飯野亮一)

 


居酒屋の誕生: 江戸の呑みだおれ文化 (ちくま学芸文庫)


大学生になって初めて居酒屋に入ったときのことをハッキリ覚えている。ここが居酒屋かあ……すこし大人の仲間入りしたなあ!と実に感慨深かったのだ。(・∀・) ……いまでは毎日のように(!?)お世話になっているなあ!(笑)


さて、この本。著者の飯野亮一さんは早稲田と明治の両方を卒業している。おっ!センパイだっ!「寛延年間に生まれた居酒屋は、雨後の筍のように増え続け、文化文政の頃には人口比率でほぼ現在と同じ規模の産業に成長する。食文化を豊かにし、さらには幕府の各種規制を撤廃させていく原動力ともなった居酒屋の歴史を、日記や川柳、随筆、書簡、触れ書などから丹念に掘り起こす」そのエッセンスを紹介しよう。


・江戸に幕府が開かれると、新興都市江戸には、参勤交代で出仕する武士のほか、たくさんの人が集まってきた。その多くは男性で、江戸は男性都市としてスタートした。町には早くから酒を売る酒屋ができ、やがて煮物などを売る煮売茶屋が現れてきた。酒屋や煮売茶屋では、客に酒をのませていたが、あくまでもそれは本業ではなかった。それに対し、客に居酒をさせることを本業にする店が現れてきた。それが居酒屋である


・居酒屋が江戸の町に出現すると、江戸という特殊性を持った都市のなかで、居酒屋は非常な発展を遂げ、今から200年前には、飲食店のなかで、一番多い業種に成長していた。居酒屋は江戸の市民社会のなかで、重要な役割を担っていたことになる。それにもかかわらず、これまで、江戸の料理や食生活などについて書かれたものは多数出版されているが、居酒屋をテーマにして書かれたものが見当たらないのは不思議だった。


・今から200年ほど前野文化8(1811)年の調査では、江戸の町には1808軒もの「煮売居酒屋」(居酒屋)があった。当時江戸の人口は約100万人、553人に一軒の割合で居酒屋が存在していたことになる。


酒屋で酒を飲むことを「居酒」という。量り売りする酒を店先で飲ませたのが居酒の始まり。一人暮らしの男性やその日稼ぎの労働者の多い江戸では、安直に酒が飲める場所として、酒屋でのいざが早くから行われていたが「居酒」という言葉がみられるようになるのは元禄時代(1688〜1704)のこと。やがて酒を安く居酒させて評判を呼ぶ酒屋が現れた。神田鎌倉河岸にあった豊島屋という酒屋である。


・江戸で飲まれていた酒の多くは上方(畿内地方)から運ばれてきた諸白という下り酒だった。江戸で飲まれていた下り酒には、上方では味わえない付加価値がついた。それは輸送中に生じた味の変化で、下り酒は海上輸送により美味さが増した。そのため、上方では摂津から江戸へ出した酒を再び運び戻した賞味することが行われていた。この酒を富士見酒といった。池田・伊丹の酒は気性が荒いが、江戸から「船廻し」にして送られてきた酒を飲んだところ、至ってやわらかで美味いとしている。


居酒屋は店頭にその日の売り物をぶら下げて人の目を惹きつけ、客を店内へと誘っていたが、やがて、縄暖簾を下げる居酒屋が現れた。入口に魚鳥類を吊るしておくことは客寄せにはなったが、生の魚鳥類は傷みやすく、特に暑い時期には臭気を放って、かえって客寄せの妨げになりかねない。縄暖簾ならその心配はなく、オールシーズン吊るしておくことができる。また店内の焼き物や煮物の匂いを外に漂わせることもでき、埃除けになるそこで、魚鳥類を吊るす代わりに縄暖簾を吊るす店が現れた。これが居酒屋の雰囲気にマッチし真似する店が増えていったのではなかろうか。明治時代には、縄暖簾といえば居酒屋、と言われるようになった。


その他、鍋物屋の出現」「居酒屋の営業時間」「居酒屋の客」「居酒屋で飲む酒」「居酒屋の酒飲み風景」「居酒屋のメニュー」「苦難を乗り越えてきた居酒屋」など。


日本居酒屋協会のメンバーとしてはちゃんと勉強しないとね。(笑)飲ん兵衛必読!オススメです。(・∀・)


 


居酒屋の誕生: 江戸の呑みだおれ文化 (ちくま学芸文庫)