子どもの頃、ずっと愛読してした小学館の学年別学習雑誌。兄が小一の頃から「小学一年生」を読んでいたので、ワタシが小一になるまで、そして自分がリアルの小一まで3年間「小学一年生」読んでいたことになる。(笑)それが今は、低学年向けを残して、みな休刊しているんだってね…。さびしいねえ。(*_*)
さてこの本。『小学一年生』から見た戦後出版史。1967年に小学館に入社した著者は、学年誌を皮切りに、童話・子ども百科・文芸書の編集者として手腕を発揮するが、児童文学者としても活躍の場を広げてゆく。戦後の子どもの遊びから学年誌、児童文学を語る。そのエッセンスを紹介しよう。
・受験雑誌のからわらに『平凡』とか『明星』があったことを思い出します。それらには歌本が付録としてついていた。歌本がつくようになると、ラジオを聞いて覚える必要がなくなる。歌本に全部載っているからで、それが人気で、あっという間に売り切れてしまう。百万部を超えていたはずです。それらと平行して、日活などの青春映画が多く作られていた。
・そもそも小学館は相賀武夫を創業者として、1922年『小学五年生』『小学六年生』を創刊して始まるのですが、この学年別学習雑誌に加え、さらに学年別教育雑誌も創刊し、児童と教師を対照とする雑誌を中心にしてペースが築かれたわけで、それが戦後も引き継がれていた。それゆえに今や学年誌は『小学一年生』『小学二年生』だけになってしまいましたが、教育技術のほうは廃刊になっていない。
・学年誌には、手塚治虫、藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫、川崎のぼる、横山光輝さんも担当した。『ビッグコミック』の創刊以後は大人向け漫画市場の拡大していくけれど、まだ少年少女市場が中心でしたから、学年誌の学習ページなどもいけども重要な発表舞台だった。
・九州でも北海道でも、小さな書店が『小学一年生』を毎月30冊売ってたりして、有難いなあと思い、機会を得て訪ねたりしたこともあった。でもそうした書店は次第になくなり、80年代には次第に消えていった。80年代の郊外型書店の出店ラッシュによって退場を余儀なくされてしまったんでしょうね。高学年のものは休刊してしまった。これは少子化もあるけれども書店が半分近くまで減ってしまったことも大いに影響している。
・付録つきの『小学一年生』は当時の『現代用語の基礎知識』と判型も厚さも変わらないわけだから、それが毎月百万部近く発行されたことも信じられない気がします。その厚さと付録をはさむ手間もあって書店からすごくクレームがついたとおもよく覚えている。たった10冊でもこんな高さになってしまう。小学館だけで6誌もあるので、学年誌だけで500万部。それでも学年誌は赤字だった。とりわけ『小学一年生』に全部の宣伝費が集中するので、それに付録を加えると、どうしても原価率が、70〜80%になってしまう。だから実売が90%くらいいけば、利益が出るのだが、落ちてくると赤字になってしまう。
「スペル星人問題」「あかつき戦闘隊問題」は、そうだったのかあ!ってカンジだねえ。オススメです。(・∀・)