「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「1976年のアントニオ猪木」(柳澤健)

いや〜この本、いいわ、すごいわー!♪格闘技ファンではない、ワタシが興奮するぐらいだからスゴイわー!♪ちょうどこの本を読んだあとだったから余計に響いたわー!♪

 

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小学生の頃に観た、モハメド・アリアントニオ猪木異種格闘技戦世紀の凡戦と呼ばれていたが今では高く評価されているなんて!!!

 

「1970年を境に勢いを失った世界のプロレスなぜ日本のプロレスだけが、その力を維持し続けたのか。その謎を解くべく、アメリカ、韓国、オランダ、パキスタンを現地取材。1976年の猪木という壮大なファンタジーの核心を抉る迫真のドキュメンタリー。単行本に大幅加筆し、猪木氏へのインタビューを含む完全版」そのエッセンスを紹介しよう。
 
日本は世界最大の総合格闘技大国である。日本では、群を抜く強さや鍛え抜かれた逞しい肉体は憧れの対象だ。日本にやってきたファイターたちは、自分たちが尊敬の対象であることに一様に驚く。私たちはプロレスラー出身の国会議員まで生み出してしまった。アントニオ猪木馳浩大仁田厚、そして神取忍。ザ・グレート・サスケは岩手県議会議員である。こんな国はどこにもない
 
日本人の総合格闘技好きとプロレス好きは、結局はひとつのものだプロレスの目的は観客を満足させ、再び会場に足を運んでもらうことにある。勝敗はあらかじめ決められており、リングに上がった2人のレスラーはお互いに協力してドラマチックな試合を演出するプロレスは一種の演劇なのだ
 
一方、総合格闘技の目的は勝利にある。プロである以上、結果的に面白い試合になれば言うことはないが、いくら面白い試合でも負ければ何にもならない。総合格闘技はリアルファイトであり、試合中にショーアップが入り込む余地はほとんどない。
 
この国において、アントニオ猪木総合格闘技のシンボルとみなされるのはなぜだろうか。猪木がリアルファイトを戦ったからである。1976年、猪木は極めて異常な4試合を戦った。2月にミュンヘンオリンピック柔道無差別および重量級の優勝者ィリエム・ルスカと。6月にボクシング世界ヘビー級チャンピオン、モハメッド・アリと。10月にアメリカで活躍中の韓国人プロレスラー、パク・ソンナンと。12月にパキスタンで最も有名なプロレスラー、アクラム・ペールワンと。
 
1976年のアントニオ猪木はあらゆるものを破壊しつつ暴走した。猪木は狂気の中にいたのだ。アントニオ猪木は日本のプロレスを永遠に変えた。異常な4試合とはいかなるものだったのだろうか。猪木はプロレスをどのように変えたのだろうか。猪木とは何か。プロレスとは何か。本書はそれを知るために書かれた。
 
タイガー・ジェット・シンを売り出す当時の猪木さんは本当に凄かった。コブラクローをノドに受ける時猪木さんは自分で自分のノドをカミソリで切っているんです。すると、シンの指が首の中に潜り込んでいくように見える。『高橋、俺は今日、ここ(首)で仕事をするから、あっち(シン)にも言っておいてくれ』と言われた時には本当にびっくりしましたよ。凄いな、ここまで徹するか、と思いました。相手を引き立たせるために、そこまで自分が犠牲になってしまう。それだけ努力して自分の宿敵を作り上げていく。シンが猪木さんを苦しめて苦しめて、引っ張って引っ張って、とてつもなく強い選手に見せておいてからその強いヤツを倒すからファンだってついてくる。それが猪木さんですよ。(ミスター高橋
 
プロレスはセックスに非常によく似ている。体を通して互いに刺激し合い、相手の反応を見ながら次の手を打つ。相手もまた様々な技術で応酬してくるいい相手とセックスすれば自分も高まり、素晴らしい快楽と開放感を得ることができる。それを支える観客の視線も必要条件となる。私にとってジェット・シンはいいセックスができる相手のようなものだった。たか買うほどにテンションが上がり、快感が増して行くような感じで…私も燃えたのである。格闘技では身体に残った感覚は消えない。闘って『こいつは凄い』と感じたことは絶対なのである。
 
・歌舞伎の女形が女性的な仕草やふるまい、手つき、表情のディテールを磨き上げることで現実の女性よりも遥かに女性らしく見せるように、アントニオ猪木も肉体のディテールを磨き上げることによって力道山や豊登のような元力士とも、馬場のような大巨人ともまったく異なる美しさ、すなわちアスリートの美しさを身に纏った。たゆまぬ努力の末に作り上げられた肉体美、細やかなディテールを積み重ねた末に生み出される「強さ」のイメージ。美と強さと兼ね備えた男が快感に打ち震えつつ、怒りに身を任せたまま最悪の境界、倫理の境界を軽々と超えていく。そんな猪木のエロティックなプロレスに70年代のティーン・エイジャーたちは強く反応した。
 
日本の新聞にスポーツ欄からプロレスの記事が消えたのは、1954年12月行われた
力道山木村政彦の試合からだ。なぜロープに飛ぶのか、なぜトップロープからのニードロップをよけないのか。なぜレフェリーは隠した凶器を見つけられないのか。なぜ流血はリング下でばかり起きるのか。様々なクエスチョンマークを頭の中に浮かべつつ、観客たちはジャイアント馬場アントニオ猪木が外国人レスラーたちをなぎ倒していく姿に声援を送っていた。
 
アントニオ猪木は天才であるその気になれば相手が誰だろうが、熱戦を作り上げることができる。猪木ならばホウキと戦っても観客を沸かせることができるだろう」とゴッチ門下で兄弟子にあたるヒロ・マツダの評だ。しかし天才は気まぐれである。常に100%の力を出すことはできない。猪木のテンションが下がれば、試合のヴォルテールが急落する。
 
アリがプロレスラーと戦うかもしれないという噂は以前からあった。アリ自身も繰り返し言い続けたことだ。だが、アリがまさか本当にプロレスラーと戦うとは思わなかったのだ。一体なぜ、世界のスーパースターがプロレスラーごときと戦わなければならないのか。アリはなぜ、自らの権威を冒瀆するような真似をするのか。記者たちは大いに疑問を持った。アリは、ボクシングというリアルファイトの世界にプロレス的なショーアップの手法を持ち込んだ初めてのボクサーだったアリはプロレスが好きだったのだ。
 
・試合前、メディアはこの試合について何ひとつ理解していなかった。これはリアルなのか?それともショーなのか?この単純な疑問に答えが出せない。アリも猪木も「リアルだ。ショーではない」と言う。この試合が意味するものは何か?悪ふざけか、もしくは高級なドラマか?
 
 
・アリのチーフセコンド、アンジェロ・ダンディはドロー判定に満足していた。判定は引き分けだったが、レフェリー、ジャッジに関しては何の不満もなくむしろ敬意を表す限りだ」
 
・猪木は孤独だった。一介のショーレスラーにすぎない自分が、世界のスーパースターとリアルファイトを戦い、散々痛めつけてやったのだ。にもかかわらず、それがどれほど凄いことなのかを理解してくれる人間はどこにもいなかったなぜドロップキックやコブラツイストやバックドロップをしなかったのか、と大勢の人々から聞かれた。ドロップキックは見せるための技だ。実践で当たるはずもない。コブラツイストも同様の見せ技だが、さらに密着することが必要になる。近づくことさえできないのに、どうやって密着するのか。
 
アリはプロレスのバカバカしさが大好きなのだ。
 
・そして、ついに新日本プロレスアントニオ猪木を超えるレスラーが現れたタイガーマスクである。タイガーマスクのプロレスは通常のロックアップではなく、キックから始まる。凄まじいスピードで動き回り、恐るべき強さで蹴る。リングの上下、内外を自在に駆使し、完璧なブリッジによるジャーマン・スープレックスホールドでフィニッシュする。猪木のプロレスが美しい静止画とすれば、タイガーマスクのプロレスはスピードと意外性で幻惑するジェットコースター・ムービーであった真の天才である佐山聡は、文字通りプロレスを変えてしまったのだ。
 
佐山聡はある意味でアントニオ猪木を超えたレスラーだった猪木はアメリカではまったく受け入れられなかったが、佐山はマスクをかぶる以前からメキシコでもイギリスでトップレスラーだった。タイガーマスクとなってからはアメリカでもカナダでも大人気だった。
 
・猪木以前、日本には偉大なプロレスラーが2人いた。力道山ジャイアント馬場である。アメリカにも偉大なレスラーたちがいた。イギリスにもドイツにも韓国にもパキスタンにもシンガポールにも偉大なレスラーは数多く存在した。だ、が彼らがプロレスの枠組みから外れたことは一度もない。結局のところ彼らは観客の欲求不満不満快勝の道具に過ぎなかったただひとり、アントニオ猪木だけがジャンルそのものを作り出したのだ。巨大な幻想を現出させ、顧客の興奮を生み出すのがプロレスラーであるならば、アントニオ猪木こそが世界最高のプロレスラーであった
 
・今回の出版で唯一残念だったのは、アントニオ猪木氏のインタビュー取材ができなかったことだ。猪木氏には聞きたいことがたくさんあった。だが回答は手紙は猪木も読んだ。だが謝礼の発生しない取材は受けない。これは猪木の意志だ」というものだった。本書は、プロレスとはリハーサルのあるショーであるという前提の上で、その前提が崩れた特異点について書かれたものだ。一方、プロレスと格闘技の境界線を曖昧にすることで巨大な幻想を生み出したのがアントニオ猪木その人である
 
インタビューは魔術師に種明かしを迫るようなものにならざるを得ない、猪木氏に取材を受けていただけなかったことは、本書の性質上、仕方のないことだと感じている。
 
 
力道山が隠したレスラー(ゴージャス・ジョージ)」「ブラッシーの言語感覚」「キンシャサの奇跡」「アリブマイエ」「取り巻きが金を浪費する」「俺はプロレスがしたい」「ドラマを捏造する」「本当の真相」「真に偉大なファイター」「新日本プロレスの9億円の借金」「大邸(テグ)の惨劇ーパク・ソンナン戦」「伝説の一族ーアクラム・ペールワン戦」「衰えたり猪木」「事業で失敗」「ついにテレビも見放す」「そして総合格闘技へ」「柔術家に負けるプロレスラーたち」など。

 

ちょうど猪木さんが亡くなったあとに読むことができて、その偉大さがわかった。格闘技ファンならずともぜひ一読を!超オススメです。(・∀・)

 

 

GOURMET〜福岡立ち飲み屋・飲み歩き7…「こば酒店」VS「スパイスと立呑 MEGUSTA 」

 

アサヒスーパードライ生 380円 牛すじ煮込み 300円 じゃこ天300円
こば酒店 薬院 stand!

福岡市中央区白金1-16-4 
17:00 – 21:00
日第二/最終月休

 

todoroki-saketen.com

ウチのキッチンのある大名から徒歩10分圏内にどれだけ飲み屋があるのだろう!?といつも考えてしまう。めちゃめちゃ飲み屋の密度が高いっ!福岡にいる家にできるだけ多くのお店に行こう!プロジェクト!♪進行中!

 

 

いや〜ここ、こんなところに隠れ家があるなんて!ビックリ!入り口は普通の酒屋さんかなー!?と思ったら、ドーン!!!と突如あらわれるカクウチの店内!

 

 

まずは迷わず生ビールでしょ。380円という値段がグー!♪ そしてこの空間が、ハコの雰囲気がタマラナイ!呑兵衛が多いなあ!♪

 

 

こんなに広いとは思わなかったー!人気店なんだねー!♪

 

 

カクウチとは思えないほどのメニューの数。個性的な字体。リーズナブルなお値段。

 

 

まずは牛すじ煮込みかな。福岡ではあまりポピュラーなメニューじゃないような。

 

 

そしてじゃこ天。これも珍しい!

 

 

サバ缶は、パクチーが合うんだね〜!♪ サイコーだな、ここ。

 

 

 

 

さてもう一軒!以前から気になっていたお店。

 

 

生ビール〈黒ラベル〉490円 Cセットタコス 790円 タコス生地1枚 90円

スパイスと立呑 MEGUSTA

福岡県福岡市中央区今泉1丁目13−27

15:00〜翌1:00 無休

 

 

マンスリーマンションから数分。毎日来られるわー!(笑)「スパイスと立呑」が気になるよねー!

 

 

ナント!メインのおつまみはタコスよ!!!これは、ウレシイ!!!ぜったいビールに合うわー!♪

 

 

「MEGSTA」「MEGSUNA」の一連のお店、みんな個性的でステキ!

 

 

タコスってときどき食べたくならない!?ワタシ、好きなんだよねー!♪

 

 

Cセットタコスにしよ。トリプルペッパーチキン+メキシカントマト+アボカドディップ+ハラペーニョだよ。ワタシのお腹は「ハラペーコ」!♪(笑)

 

 

これ、合うなー!!!サイコーにうまいなー!!!ハラペーニョがいいねー!!!これだけでガンガン、アルコールが進むっ!

 

 

追加で、タコス生地を2枚追加。このパターン、ハマるなー!!!テッパンになりそう!!!超オススメです。(・∀・)

MUSIC〜「酒場のギター弾き」ヒミツの部屋 DE 流し in 福岡

 
 
9月に福岡に来てから自然発生的に、みなさんの希望で月イチ〜2回、開催している「ヒミツの部屋の「流し」。なんだかんだいいながら延べ10回くらい開催しています。
 
これが間接的なきっかけで「福岡クリスマスマーケット」に出場させていただいたからなあ。ご縁って大事だねー!♪

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拡散も募集も宣伝もしていないのに、最近は、人数が多くなってしまって、異業種交流会のようになってしまった。(笑)少人数なら、マニアックなリクエストも多いのにね♪

 

 

今日のリクエス
「ビューティフル・サンデー」(田中星児)「駅」(竹内まりや)「あかずの踏切」「はじまり」「氷の世界」「能古島の片想い」「帰れない二人」「桜三月散歩道」(井上陽水)「あんたのバラード」「銃爪」(世良公則&ツイスト)「街の灯り」(堺正章)「LOVE AFFAIR 〜秘密のデート」(サザン・オールスターズ)「歌うたいのバラッド」(斉藤和義)「15の夜」「I LOVE YOU」(尾崎豊)「めばえ」「森を駈ける恋人たち」(麻丘めぐみ)などなど。


今回の時事ネタ


「お酒の歌メドレー」「自宅でリモートワークの歌」「大丸別荘 「3700倍のレジオネラ属菌の歌」「大丸別荘 社長謝罪会見の歌」(※社長ご逝去のため、現在は封印中)「タラちゃん追悼の歌」「陰気なサザエさんの歌」「フィリピン特殊詐欺「ルフィー」の歌」「飲食店迷惑行為の歌」など。

 

 

たった一曲の歌で、出だしだけで、サビだけで、一番だけで、聴いている人の表情が変わって、笑って、一緒に歌って、喜んでくれる。それが最高の幸せ。

 

やっぱり歌だな。ワタシは。河島英五の『酒と泪と男と女』じゃないけど、『酒とギターと歌と仲間』だな。

 

 

今回のデザートは、「Dr.Fry」で低温調理した「揚げいも」じゃなくて「焼きいも」と「揚バウムクーヘン」。

 

 

これがお酒のアイスクリーム「YOICE」に合う、合う!

 

www.yoice.tokyo

 

 

差し入れ、ありがとうございました〜〜!!!

 

 

次回は、「花見 DE 流し」です。福岡にいつまでいられるか分からないけど、多くの方と交流したいです!♪ 

「テツ旅は準備から」(鈴木翔)

テツ旅は準備から

テツ旅は準備から

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鉄道オタクほどではなないけど、電車に乗るのが好き。車の運転より、バスより、鉄道がいいよね〜!見知らぬ街で、見知らぬ電車に乗り、初めての駅に降りる。いいよね〜!テンション上がるよね〜!(・∀・)
 
 
「「憧れの地で、いい旅ができる」そんな鉄道の旅を実現する、テツ旅の極意とは」そのエッセンスを紹介しよう。


・人は面倒くさがりで楽をしたがります。私は面倒くさがり屋です。それでも面倒なことをやる理由は、自分の思うような旅にしたいからです。その中で時刻表を読みながら計画を立てていく作業は、正直面倒です。しかしこれをやっていかなければ、自分の思うような旅はできません。面倒くささの先に楽しみがあります
 
宮崎駿さんはジブリ作品を作っている最中に「面倒くさい」を連呼していたそうです。面倒だけど、その先に楽しさがあったからです。テツ旅の計画は正直、面倒くさいですが、同時に楽しさもあります。これを覚えてはじめて“面倒くさいけど楽しい”に変わります。
 
・あなたがステーキを食べるとします。ここで二通りの人がいます。
 
①ステーキを後から食べる
②ステーキから食べる
 
ここで大半の人が①を選ぶでしょうが、テツ旅をしている人は①を選びません。自分のやりたいことを先にやっておけば、少なくともやり残しになることはなくなります
 
五能線は廃止を免れた奇跡のローカル線です。乗ってみたいローカル線第一位」を獲得しました。五能線からの車窓を見たら「来てよかった」と必ずいうことでしょう。
 
・そもそも旅とは歩くものです。歩くことが嫌いな人は限られたたびになってしまいます。ローカル線の中にも地元の人にしか知られていない観光地がありま。歩くことで「来てよかった」となるものです。歩くことで出会いにもつながります。
 
「一分」をあなどってはいけません。結果的に一分の遅れが一時間になり、これが三時間、五時間、十時間と膨らみ、そして一日の遅れとなります。
 
ああ〜テツ旅に出たい〜!九州一州したいー!モチベーションが上がった〜!オススメです。(・∀・)

 

テツ旅は準備から

テツ旅は準備から

Amazon

 

GOURMET〜広島お好み焼き食べ歩き…「燦々」VS「すうさん」

 
肉玉 そば入り 630円
お好み焼き 燦々
広島市南区比治山町7-18 11:00~14:00

木日祝休

 

okonomiyakisansan.com 

最近、なにかとご縁があって毎月広島に行っている。博多から新幹線なら1時間なんだよね。近い、近い!

 


広島といったらなんといってもお好み焼。友人から連れていっていただきました。

 

あれっ!?ここ10年くらい前にも連れて行っていただいたことがある!ウレシイ!また食べたかったんだ!♪

 

 

小さいお店。目の前で作ってくれるのがいいね。

 

 

思った以上にキャベツともやしが多い。混ぜないのがいいよね〜!

 

 

家で再現してみようとじーっと見ている。そおかあここで肉を置くのか!

 

 

この何層にもわたるミルフィーユ状態。いいなあ!作りたいなあ!

 

 

ああ〜書いていると食べたくなっちゃうなー!

 


ママさんがやさしくていいよね。再訪必至だなあ!

 

さあ、もう一軒!

 

 

 

肉玉そば 700円

お好み焼き すうさん

広島市南区南蟹屋2丁目4−8

 

昼メシを食べる時間がなくて、お店を探している時間がなくて急遽、マツダスタジアム近くのお好み焼き屋に。

 

 

これぞ!オーソドックスなルックス!

 

 

有名店じゃないみたいだけど、安定した美味しさ。

 

 

広島での、お好み焼きの食べ歩きは続く……。どちらもオススメです。(・∀・)

「「コミュ障」だった僕が学んだ話し方」(吉田照美)

 
二十代の独身のころ、毎日夢中になってきいていたのが文化放送吉田照美のやる気MANMAN!平日の2時間が3時間になってからもずーっとタイマーでカセットテープで録音して、帰宅してから全部聞くというヘビーリスナーだった。いまでも自分が編集した『やるMAN傑作選』として保存版があるほど。(・∀・)
 
さてこの本。照美さんの著書って初めてかも。
「口下手でも話を弾ませる方法がある。外出すれば道端の人が自分の悪口を言っているのではないかと怯え、人前に出ればアガってしまい一言も発することができないまま、場を後にする?青春時代、そんな「コミュニケーション障害」、俗にいう「コミュ障」に苦しんでいた吉田照美が、悩みぬいた末にたどりついた「コミュ障ならではの会話術」を初めて明かす。「滑らかな語り」をもてはやす現代の風潮に抗う、「うまく喋ることを目指さない」話し方、そして吉田の考えるコミュニケーションの本質とは?」そのエッセンスを紹介しよう。
 
・実はこの私も、しゃべる仕事を専門にしているにもかかわらず「まとめ下手」なので、時として自分の言いたいことを上手く相手に伝えられないことがあったりします。
 
「話し上手なんか目指す必要はありません!むしろ、話し下手を目指そう!」と。こちらが「話し下手」であれば、相手はその時点で上の立場となり、この人に言いたいことを何とか理解してあげよう」と余裕を持って話を聞いてくれます。
 
・当時、小島一慶さんの番組の中に、慶さん自身が1週間のうちに体験し、感動したことを語ってくれるコーナーがありました。読んだ本、観た映画、出会った人物など、そのコーナーで一慶さんはいろんな感動を私たちリスナーに語ってくれました。聴くたび、一慶さんは日頃からアンテナを張り巡らせ、日常の中からいろんな感動を切り取っているのだな」と感心したものです。そして何よりも、話している一慶さん自身が番組を楽しんでいることがよく伝わってきました。一慶さんのラジオで、人を笑顔にする素敵な仕事があることに気づきました。
 

・学生時代にもっとも好きだったラジオ番組が、永六輔さんの土曜ワイドラジオTOKYO』でした。いい映画を1本観たかのような感慨に浸ることができました。後にも先にも永さんの番組だけです。大学のアナウンス研究会に所属していた私はこういう番組を自分もやれたらいいなあ」と淡い夢のようなものを抱くようになりました。決してほめられたしゃべり方でなくとも、「伝えたい」という思いがそこに込められていれば、人と人とのコミュニケーションはしっかりと成立することを永さんは私たちに教えてくれました。
 
・人と人との会話、コミュニケーションにおいて、私がもっとも理想とするのは「その場から笑いが生まれる」ことです。会話によって共感が生まれ、お互いの気持ちが共振、共鳴し合って笑いが生まれる。そんな空間を生み出すことがコミュニケーションの一番の理想だと思うのです。
 
吉田照美の夜はこれから てるてるワイド』は開始2ヶ月で徴収率のトップに立った人気番組でした。ティッシュペーパーの空箱投げ大会」に、リスナーが3000人集まりむさしの村の公開放送では、何と1万人もの人たちが集まりました。たまにこのようなご褒美」というか、うれしいサプライズ、奇跡が起こるのです。
 
・話すことが苦手な人はまず第一に「自分の会話の“型”」を持つようにすればいいと思います。最初から自分の「型」を持っている人などどこにもいません。誰かの「真似」から始めればいいのです。「あの人のしゃべり方は好きだな」という人の語り口調を真似するのです。
 
おしゃべり上手な人ほど、会話の引き出しをたくさん持っています。つまり、会話を盛り上げたいのなら、まずはいろんな情報を集めて、自分の中の引き出しにストックしておけばいいのです。
 
話のネタは食べ物と一緒で「鮮度」があります。情報は日々目まぐるしく入れ替わっていくものです。
 
小山薫堂君の繋ぐ力」「毒蝮三太夫さんの会話力のすごさ〜毒舌は、やさしさとともに」「安住紳一郎さんに学ぶ「キャラ作り」の妙味」「みのもんたさんのしゃべりのテクニックは国宝級」「久米宏さんのFM的洗練」「自分の日常を笑いに変える達人、鶴瓶さん」「古今亭志ん生の『蛙の女郎買い』のマクラ」「田中角栄さんの人の良さを感じる話し方」「心の芯がポールような事件でした(白井静雄アナ)」
 
 

 

 

「増補版 誤植読本」(高橋輝次)

 

小学生の頃、家族の「族」と「旅」をよく間違えた。中村雅俊俺たちの旅『俺たちの『族』』にになっていまい、暴走族のドラマになってしまった!?(笑)

 

さてこの本。「本と誤植は切っても切れない!?恥ずかしい打ち明け話や、表現へのこだわりなど、校正をめぐるあれこれを、作家や学者たちが本音で語り出す。本好きには興味津々のアンソロジー」その代表的なものを紹介しよう。

 
 
・(中村真一郎)一度、危いところで大恥を掻きそこなったことがある。校正刷りを出版社へ戻そうとして、封筒に入れる前に。ふと気が付いたら「学者」という字が「芸者」となっていた私はとんだ遊び人にされるところだった
 
・(河野多惠子)昔、ヨーロッパでキリスト教会の権力が強大だった頃、聖書の校正には格別の慎重さが要求された。それでも、誤植は皆無ではなかった。で、どこかの国で、聖書に誤植が起きた場合には校正者を死刑に処することにしたところが、文字通り命がけの校正によって印刷された、その聖書にもやはり誤植が一つあった。そして、校正者は死刑に処せられた。
 
「トル」という文字を書いておくと、何でもトッてしまう。サルトル「サルクレ」と誤植になっている場合、「クレ」の部分を「トル」と直すよう指示しておくと、取られてしまってサル」になってしまう。これはサルトルが猿になった話」として有名らしい。
 
じつを言うと、この正誤表なるものに、私は学生の頃からちょっとした憧れを抱いてもいたのである。はじめから誤りを残してもいいなどとは、だれも考えない。正誤表は、ぎりぎりまで根を詰めて、それでもこぼれたものを拾おうとした涙ぐましい努力の跡であり、身体が凍り付くほどの緊張と悔悟の脂汗が染み込んでいる小さな地図を入れた、投壜通信のようなものなのだ。
 
 
・「天成のエッセイスト」→ 「天才のエッセイスト」
「失敗は成功の基」→「失敗は成功の墓」
「冀(こいねがい)上げます」→ 「糞上げます」
「大使」→「大便」
「尼僧」→「屁僧」
「前衛」→「前術」
「旅人」→「族人」
「先頭に立って」→「銭湯煮立って」
「王子」→「玉子」
「ある事情」→「ある情事」
「社会正義」→「社会主義
「イッパツできまる」→「イッパツできる」
「読む」「読んだ」→ 「続む」「続んだ」
「窓際の庇」→「窓際の屁」
「雑誌 蒲田」→「雑誌 蒲団」
「水着姿多し」→「水着婆多し」
「帽子を眼までかぶり」→「帽子を腹までかぶり」
 
「誕生日 男とセックス やりにいく」(林真理子?)
 
いまでいう変換ミスだけど、誤植は昔からあるので、笑えるネタがいっぱいあるよね。しかし『水着婆』は、いやだな〜〜!?(笑)オススメです。(・∀・)